2011年11月10日

「人間は変われるのか」

しばしば「人は、いくつのなっても、そうは変わらない」という言葉を聴く。はたして、ほんとうのところは、どうなのだろうか。

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青春時代の私は、何かことが起きると、自分の中にとどめておくことができず、いつも姉のような存在の人たちに報告せずにはいられなかった。まるで、「誰か、助けてくださいな! 自分では、どうしたらよいのかわからないから!」と泣き叫ぶような勢いで他者を求めていたような気がする。

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その代わりに、といったら、おかしな言い回しなのだが、自分の頭の上の蝿は追えずとも、他人の頭の上の蝿を追う役目がまわってくると、自己犠牲に近い形でやり通してゆく気概はあった。それ故、学生時代の恩師に「姉御肌」と呼ばれていたものだ。どちらが、ほんとうの自分なのか。おそらく両極端の性格を有していたのだろう。

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それが、年月を経て、ある時、ふと、実は、自分が思っているほど、「自分は、そう、弱い人間ではないかもしれない」という自覚がひょっこりと生まれた。さまざまな経験を積んで、「人間は、所詮、ひとりなのだ」という深い根源的な自覚にたどりついてからのような気がする。

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今では、「自分の頭上の蝿は自分で追い払いたい!」という確固たる望みがある。できるか、できないかは、別問題として、甘えの根性がなくなった、とでもいおう。と、同時に、少し親しくなった人が、弱さを武器に、「私の話を聴いて!」と甘えの根性を丸出しにしてくると、不快感を覚えるようになった。この世は、悩みの集合体なのだから、誰でも愚痴は言い出したら切りがない。地球上は、愚痴の洪水になってしまう、と偉そうに、他人にも、自分にも、一喝している。

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確かに私は変わったかもしれない。これを、成長した、という表現に、多分、置き換えていいのだろう。けれど、どんなに強い人間でも、基本的には、みな、弱い存在であるはずだ。けなげに、愚痴をこぼさず、前向きであろうとする人々を眺めてみると、うしろから、そっと抱きしめてやりたい気持ちにさせられる。

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posted by アンジェリカ at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする