ある夕暮れ、愛犬と散歩に出たら、いつもと違う道に行くので、そのままついて行くと、細い路地の片隅に、アパートと見まがうような造りの小さな寺があり、その壁に、このように記されていた。
「時は、恩讐の彼方へ流し去りぬ。今は、ただ、真っ青なるパシーの海に眠る幾多の御霊安かれと、安かれとこそ、祈るなり。」
どこの派に属しているなどとは無関係に、その文章を吸い付くように読み返し、「ああ、救われた」と溜飲を下げた。翌朝も、もう、一度、その文章を味わいに、今度は、ひとりで出向き、「そうなのだ。気持ちのくくりなどつける必要は、まったくなかったんだ。ただ、ひたすらに、御霊、安かれ、安かれと、祈っていればいいんだ。そして、それこそが、私のしたかったことなんだ!」と。

その時、初めて、涙が滲んできた。実は、それまで、母の死を知った時も、お通夜、葬儀の最中も、一度も涙が出てこない自分にあきれ返っていたのだ。父の時は、喪失感に打ちのめされ、数ヶ月間、魂が抜けたようになってしまっていたのに。

その後、軽井沢のショー記念礼拝堂で、日曜のミサに出席していると、ただ、椅子に座っているだけで、涙が溢れ出してきた。「出来ることなら、私も、もっと、もっと、あなたに親孝行がしたかった。でも、自分を守るために、あれ以上は、どうしてもできなかった。許してね。」と。お互いに武道家同士であったせいか、兄と母は気があっていて、亡くなるまで兄はホームに毎日のように通っていた。

今は、もう、できる限り、母の素敵だった事柄だけを懐かしむようにしたいと願っている。軽井沢に秋は早い。あちらこちらにコスモスが咲いている。庭一面を季節折々の薔薇であふれさしてみたり、堀際をコスモスで埋め尽くしてみたりしていた若かった時の母。そして、ずっと昔、水の面に、輪になって広がる波紋を見るのが大好きなの、とポソリと言っていた人。きっと、これからは、湖に波紋が浮かぶたびに母のことを思い出すような気がする。
