2012年08月30日

涙の意味

 八月頭、91歳の実母が亡くなった。もう寝たきりになったままで何年もたっていたので、「ようやく解放されて、良かったね」と口の中でもぞもぞと唱えながらも、「私と母との縁は一体、何だったのだろう。まだ、総括は終わっていない・・・・」と、ばかりに何も手につかず、10日ほど、ボーと日を送っていた。

 ある夕暮れ、愛犬と散歩に出たら、いつもと違う道に行くので、そのままついて行くと、細い路地の片隅に、アパートと見まがうような造りの小さな寺があり、その壁に、このように記されていた。
「時は、恩讐の彼方へ流し去りぬ。今は、ただ、真っ青なるパシーの海に眠る幾多の御霊安かれと、安かれとこそ、祈るなり。」
 どこの派に属しているなどとは無関係に、その文章を吸い付くように読み返し、「ああ、救われた」と溜飲を下げた。翌朝も、もう、一度、その文章を味わいに、今度は、ひとりで出向き、「そうなのだ。気持ちのくくりなどつける必要は、まったくなかったんだ。ただ、ひたすらに、御霊、安かれ、安かれと、祈っていればいいんだ。そして、それこそが、私のしたかったことなんだ!」と。
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 その時、初めて、涙が滲んできた。実は、それまで、母の死を知った時も、お通夜、葬儀の最中も、一度も涙が出てこない自分にあきれ返っていたのだ。父の時は、喪失感に打ちのめされ、数ヶ月間、魂が抜けたようになってしまっていたのに。
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 その後、軽井沢のショー記念礼拝堂で、日曜のミサに出席していると、ただ、椅子に座っているだけで、涙が溢れ出してきた。「出来ることなら、私も、もっと、もっと、あなたに親孝行がしたかった。でも、自分を守るために、あれ以上は、どうしてもできなかった。許してね。」と。お互いに武道家同士であったせいか、兄と母は気があっていて、亡くなるまで兄はホームに毎日のように通っていた。
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 今は、もう、できる限り、母の素敵だった事柄だけを懐かしむようにしたいと願っている。軽井沢に秋は早い。あちらこちらにコスモスが咲いている。庭一面を季節折々の薔薇であふれさしてみたり、堀際をコスモスで埋め尽くしてみたりしていた若かった時の母。そして、ずっと昔、水の面に、輪になって広がる波紋を見るのが大好きなの、とポソリと言っていた人。きっと、これからは、湖に波紋が浮かぶたびに母のことを思い出すような気がする。2012.8のコピー.jpg
posted by アンジェリカ at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月13日

帰ってきた娘

学生時代、ひとりっこの友人がふたりほどいた。成人すると、ふたりとも東京育ちであるにもかかわらず、地方での結婚生活を選択していた。娘との交流がギクシャクして悩みぬいていた頃、そのひとりの友人に思い切って電話を入れた。彼女は幼い頃、父を亡くし、やりての母親の手で育てられていた。その方は見るからに大柄な華やいだ方で、水上スキーを趣味としていた。一方、友人はどことなく憂いを秘めた文学少女風で、ここまで違う親子もめずらしいなあ。と思ったものだ。私の声が、よほど、せっぱ詰まっていたせいか、彼女は誠実に答えてくれた。

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「嫁いだのは、母から遠のきたかったことも理由のひとつ。そして、亡くなるまで駄目だった。けれど、亡くなってからは、母のことを思い出さない日はない・・・・・」と。
思えば、我が家もパートナーがマスコミであったため、母子家庭そのものであった。そこで私の覚悟は決まった。あの子が、私という人間の影響を避けて、自立したいと願っているのだから、会いたいとわめかないのが、私の愛、と。けれど、自分の存在、そのものが邪魔になっている、という事実は余りにきつすぎた。

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あれから何年が過ぎただろう。昨年、上の孫が小学校に入り、下の子が幼稚園に行くようになった今年の春頃から、自然発生的に娘は、自分の幼少や少女期の心境をメールに書き記してくれるようになった。自分には、どうしても、愛されているという実感がなかった、と。いつも、監視されているような気分だった、と。そこで恐る恐る、しかも決然と、「これまで話しても、わかってもらえないと思い、口にしなかったけれど、私は慈母タイプであるよりも、賢母タイプになりたい、と念じてやってきたの・・・・」と。当時は、一人っ子は甘やかされていて、問題児と騒がれていた時代であったし、娘は勉学心に目覚めるのが遅かったので、確かに普通の家庭よりも、厳しかったのは事実だろう。

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と、その言葉に対して、娘の反応は・・・・な、なんと! そういえば・・・・。そうなると・・・・。ああ、そういうことだったのか!となり、驚くほど、すんなりと納得してくれたのだ。
みずから子育てをして、悩み、苦しみ、血を流した結果の成果だろう。
だが、まだ、まだ、娘との心の開きあいは、始まったばかり。
二度と冷ややかな関係にならぬように、焦らず、ゆっくりペースでゆけたらと。そして、何十年も年賀状だけのお付き合いにもかかわらず、私の人生に貴重な言葉を与えてくれた友の心意気に感謝せずにはいられない。

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posted by アンジェリカ at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする