2012年12月03日

三宅さんの死と慎ちゃん

テレビ・タックルでおなじみの評論家・三宅久之氏の死が、ひっそりと報道された。毎週月曜日、パートナーとともに、チャンネルを合わせ、氏の顔を見ると、二人でほっと顔を見合わせたものだ。それというのも、氏の持つ独特な人格だけでなく、あの風貌も、普段はにこやかでありながら怒ると鉄火そのもの変身するところも、私の実父を彷彿とさせるというよりも、まるで父がそこにいるような錯覚すら与えてくれていたからだ。
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 特に、なぜか格好いい禿げかた。笑う時の目じりの皺、そして、どんな派手なジャケットやネクタイをしても、自然と様になってしまうところなど。話し出したらきりがない。それだけに、お会いしたこともないのに、寂しさが募る。できることなら、告別式にも出席したかった。パートナーも政治評論が大いなる趣味なので、「しかし、ああいう人は、もう、あの年代ででてきそうもないなあ・・・・」などと、まるで、もうひとりの父親を亡くしたような口ぶりで言う。
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 三宅さんが、マスコミからすっかり煙のごとく消えたあの潔さ、あっぱれ! というほかなかった。ひそかに自民党の安倍晋三氏を総裁に担ぎ出そうとして地下水のごとくに動いていると聞いた時、「ああ、まだ、お元気なんだなあ」とどんなに安堵したものか。
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 思ったことはずけずけといっても、それがかえって周りを魅了してしまうタイプに、もう、ひとり、大横綱、石原慎太郎氏がいる。プライムニュースで著名な評論家西部氏が「齢80になったら自分の身の処し方を・・・・」と批判なさっていたが、はたしてどうなのだろう。作家なのだから、志すこと海のごとしで、「やむにやまれず、日本国のために!」と国政に踏み込んだと思いたいという一方、息子が総裁うんぬんになれなっから故の・・・式の本人も気づかぬものとされる下意識によって、突き動かされている部分が根っこの核だとしたならば、哀しすぎる。
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 11月末現在、結果は未知数だが、なんとなくいやな予感がして、慎ちゃんは最後まで慎ちゃんらしく現職を全うして、オリンピックでも呼び込み、名都知事として堂々と勇退して欲しかった、と歯ぎしりするのは余計なおせっかいだろうか。
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 三宅氏が、齢を重ねるにつれて、「自らを足る」ことを習得していった一方、三歳、年下の慎ちゃんは、「これをせねば死ねぬわ」の勢いで、「独楽の舞い踊り」でもする覚悟なのかもしれぬ。いずれにしても、このお二人、ある意味で、何十年の長き間、我が家の食後の団欒の中での数少ない英雄たちに属している。
posted by アンジェリカ at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする