2013年04月30日

怒りの矛先

 三月、旅から帰ってきて、早速エッセーを書こうと試みたのだが、なかなか納得できる風にまとまらない。イスラエルという特殊なお国柄故なのかとも思ったが、そうではなく、出発前に、親しい友人とメール交換のことで行き違いが生じて、それが徐々に摩擦となってたまり、遂に私の中で怒りが爆発してしまったからだった。
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※写真は、イスラエル・ローマ時代の港町カイザリアから見た地中海
 これまで、私の絆の成し方というのは、「雨、降って地固まる」と信じ込んでいるところがあり、親しい人たちとは必ず行き違いがあるのだから、互いに、それをぶつけあい、思惑を調整しあれば・・・と願ってきた。幼少の頃から肉親愛に薄かったためか、できることなら一点の曇りもなく交流したい。
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 が、今回、怒りに飲み込まれている最中、なんども、自答した。「また、直接、体当たりするつもり? 成功率は、40%くらいだというのに・・・・」と。
 そこで、ふと、浮かび上がってきたのが、執行草舟氏の「生きる」という本、そこにはこう記されていた。「こみ上げる怒りの感情を、拡散せずに、自己の内部にため、そのエネルギーを凝縮させて、自己成長の強力な原動力としなければならない」。いつ、印をつけたのか、クレッション・マークまでついている。
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 そこで、ともかく、実験生活に入ってみた。「沈黙のうちに、人は、新たにつくり変えられる」としおりに書かれている言葉をも頼りとして。
 その間、新しい体験をした。普通に明るく生活できているのだが、自分の部屋に閉じこもったとたん、待っていました。といわんばかりに怒りが蘇ってくる。その人の欠点をあげつらうことによって気持ちをそらすのではなく、別の友に電話をして、打ち明けるという慰めをするのでもなく、ひたすら、「この感情を凝縮させるとは、どういうことなのだろう」と思い詰めて執行さんの本を読み返した。時には、馬鹿馬鹿しいとも思いながらも、実験は続いた。すると、次第に、その人との交流の核となってきたものが、怒りの向こうに姿を現し始めた。
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 いつの間にか、気持ちは、すっかり、沈静化していて、相手に「何を伝えたら良いのか」「どのような言葉を選べば良いのか」ということが明白になった。おかげで、互いに気まずくならず、修復できたように思える。
 今は、はっきりとひとつ、言えることがある。妙な体験をしたのだが、確実に何か掴んだような気がする。そして、これまでの座右の銘とも言える道行き言葉『塞翁が馬』。そこにもうひとつ加わるものができた。それは、『自己以外、すべて違う自我』。
posted by アンジェリカ at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする