2014年02月28日

ミラクル真央ちゃん考察

 冬季オリンピックが終わってしまった。翌日、久々に仕事部屋に向かう小田急線の電車は閑散とていて、誰もが無口で心なしか寂しそうに見えた。そんなはずはないと、ひとり、苦笑してしまう。空がどんよりとした重い雲のせいだろう。
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 それにつけても今回の真央ちゃん。またも日本中の人々の胸を一晩痛めての翌日の快挙! ショートプログラムからフリーまでの一日、どのような心境の変化があったのか。同じ質問のインタビューをいくつも受けていたので、本人は、「色々あったんですけど・・・・」と前置きして、「ショートの時、緊張していた。ということは、まだ集中が足りない、ということだと思い、フリーは、ひとつ、ひとつをクリアにして飛んでゆこうと決めました。」と答えていた。
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 なーるほど、と腕を組まずにいられない。平易な言葉で語られているので、いとも簡単風に聞こえるが、この言葉には千金の重みが隠されているようだ。確かに人は、誰でも緊張してしまえば余裕がなくなり、目の前のことに集中できなくなる。では、その緊張を解きほぐす手立ては? といえば誰もが焦り、迷い、格闘して、なかなかその一線を越えられない。実際、彼女もその一日、これまで、どうやって自分を立て直してきたのかを考えていたという。そして、その夜。見事に、その離れ業をやってのけた。気迫だけで、成功するとはとても思えない。
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 亡くなったお母かあさんが、いみじくも「自分の娘ながら驚くのですが、あの子はまるで修行僧のようで」と語ったのを、かつて、週刊誌で読んだことがある。修行僧。まさしく修行僧のように生きてきたからこそ、自分を客観的に眺め、横に据えて、具体的にこなす作業の手順や感覚を会得できたのではないだろうか。実際、ジャンプするたびに「お世話になった人にプレゼントするつもりで、ひとつ、ひとつ飛びました」と。これまた奥が深く、万人に愛される人柄が詰まっている。
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 あの晩、真夜中、真央ちゃんが好きな人も嫌いな人も固唾を呑んで見守ったはずだ。まるで自分のことのように。がんばってきても、それが今ひとつ報われないと思える人々の夢を乗せて。彼女がやり終えた後、顔を上向き加減にして感涙にむせんだシーンは、どんな名画も追いつかない。人は、がんばってきたら、がんばってきただけのご褒美が用意されている、ということが証明された瞬間だった。まるで、むずかしい方程式が解かれたように、明確に。後日、浅田真央は、「この演技を、自分は待っていた」と。それ故にあの涙。あの笑顔。真央ちゃん5.jpg
posted by アンジェリカ at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする