2014年06月02日

ひとつの扉が閉じれば

 この春はパートナーが肺気腫で長期入院して、なぜか抗原病指定も加わって退院。加えて七年前に書き始めた長編小説が、ゲラ刷りになり、一字一句の見直しと重なり、てんやわんやの一か月となった。二時間睡眠の日が続いたが、なんとかやってこれたのは、去年の私の時と同様、一重に娘が孫ふたりを連れて大活躍してくれたからだ。これまで重い病気にとは縁のなかった我が家ではあるが、いよいよそうした時期が到来したのだ。だが、心は不思議と快晴。今年の五月の天気のように。
名称未設定 2.jpg
 きつかったと言えば入院前の、辛そうで笑顔を無くしたパートナーの姿を四六時中目にしている時の方が、もっときつかった。今はマスクをかけ、「なんだか学生時代に戻ったみたいだ」と照れながら、日本の古代史などの講義を受けにいそいそと出かけている後ろ姿がある。本人が現役時代から言っていた「黄金の十年」の始まりだ。
名称未設定 5.jpg
 そしてまた形は違えど、長い年月、娘と今ひとつ心が通わず、交流をなくしていた頃は、身体の芯に細い針のようなものが流れていて、同じ年齢の母と子を見るたびに憎しみに近いような、怒りともいえそうな感覚となって目をそむけたものだ。今は、自分の仕事をおさえてまで両親につくしてくれる娘はさらりと言う。「これまで親孝行してこれなかったから」と。ありがたすぎて、これが幸福というものでなくて何であろうか。
名称未設定 3.jpg
 いつの頃からか、「ピンチはチャンス」という言葉が浸透してきたが、私には、別の言葉が蘇ってくる。「ひとつの扉が閉じれば、ひとつの扉が開く」と。
 身体的若さの代わりに、どんな扉が開いてゆくのだろう。
 20代には年をとれば何もすることがなくなり、退屈な毎日なのでは? などと思っていたふしがあるが、どうやら別のところで60代、70代はダイナミックな日々になりそうな予感がしている。
名称未設定 4.jpg
posted by アンジェリカ at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする