
きつかったと言えば入院前の、辛そうで笑顔を無くしたパートナーの姿を四六時中目にしている時の方が、もっときつかった。今はマスクをかけ、「なんだか学生時代に戻ったみたいだ」と照れながら、日本の古代史などの講義を受けにいそいそと出かけている後ろ姿がある。本人が現役時代から言っていた「黄金の十年」の始まりだ。

そしてまた形は違えど、長い年月、娘と今ひとつ心が通わず、交流をなくしていた頃は、身体の芯に細い針のようなものが流れていて、同じ年齢の母と子を見るたびに憎しみに近いような、怒りともいえそうな感覚となって目をそむけたものだ。今は、自分の仕事をおさえてまで両親につくしてくれる娘はさらりと言う。「これまで親孝行してこれなかったから」と。ありがたすぎて、これが幸福というものでなくて何であろうか。

いつの頃からか、「ピンチはチャンス」という言葉が浸透してきたが、私には、別の言葉が蘇ってくる。「ひとつの扉が閉じれば、ひとつの扉が開く」と。
身体的若さの代わりに、どんな扉が開いてゆくのだろう。
20代には年をとれば何もすることがなくなり、退屈な毎日なのでは? などと思っていたふしがあるが、どうやら別のところで60代、70代はダイナミックな日々になりそうな予感がしている。
