
今や、団塊の世代とアラフォー団塊二世の親子において、日本の家族制度は完全に崩壊している。にもかかわらず腹がたつのは、彼らは総じて、親の面倒は見るつもりはないが、親の財産だけは自分たちのものだとしっかりと思い込んでいるのだ。

過渡期と言えば、それまでのことだが、夫を亡くした知り合いで、息子にほだされ、遺産で二世帯同居を造り、わきあいあいと新生活を始めたが、なんでも一緒は最初だけ。すぐに我慢の一筋で、一人の孤独と違い、大勢の中の孤独はさらに深刻だとか。また、友人の一人娘さんは、何かにつけ「ママ。そんなに無駄遣いしないでおいてよ」といちいち非難がましく言うらしい。彼女は、孫三人を手塩にかけて手助けしてきたというのに、孫達が大きくなるにつれ徐々に態度が変化していったらしい。いったい親を何だと思っているのだ。甘く見られすぎている。

しかし、文化人類学見地からすれば、こうして歴史はチョンマゲの時代から変化してきたのだから、嘆いても仕方ない。
そこで、私は悩み抜いた結果、ひとつの決断に至った。
八年ほど前、「主婦業卒業宣言」めいたものを夫にして軽井沢に引きこもった経緯がある。今回は「母親卒業宣言」をしたい。特に金銭面においてである。孫の私立の高額な授業料など懇願されて請け負ってやっているが、これ以上は、あてにしないでもらいたい。

後、十年、二十年、健康である限り、これからの歳月、血縁のおこぼれ的愛情などにすがりつくことなく、一個の人間に立ち戻り、興味のつきないコルドバなどの中世ヨーロッパ史やアステカ文明など現地に出向いたりして、ひとりで毅然と生きていけたらどんなに愉快だろう。そのための第一歩が、さきほど記した「サポー住処」の説明会見学となった。事後報告ではあるが、パートナーも快く賛成してくれた。

これから年月をかけて、ゆっくりと勉強しようと思っている。もちろん、健康面さえクリアできれば海外生活も望むところである。わが生命。他者から見て、どんなに孤独であろうとも、この手で、ひとり生き抜くことが、人間としての最高の尊厳であると信じて。
「雨土に佇み、ひとり、微笑む」誰の言葉だったかな。