
あれから一ヵ月。
決意が揺らぐことのないようにと、ベッドの脇に一枚のメモが貼られている。
「一個の人間に 立ち戻る 幸せを 知る。
妻でなく、母でなく、ましてや子でもなく、一個の人間としての素の自由さの中で、詠い踊り口笛を吹き涙して微笑む」と。

健康とお金と時間が許す限り、自分の好きなスタイルの生活を、これから時間をかけて準備してゆくのだ。もう、若い人たちの「褒めるしつけ」に振り回されて、無理をしてまで孫を褒めまくる必要性もなければ、ひとりになった時の老後を見てもらおうと、どこか機嫌を伺いながら、相手の顔をのぞきこむこともしないですむ。
なんと、快適で素晴らしい人生なのか。
新しい何かを始めてもいい。写真? 社交ダンス? あるいは?
映画「マリーゴールドホテルで逢いましょう」式に海外に飛び出して行くのもいい。ただし、超高額な医療費を気にしないですむほどの健康があるならば・・・・・。
これまで、誰かに依存しようとしていた自分が立ち消えて、なんともすがすがしい!
頼れるのは自分だけ! こういう境地に突入し始めた自分が、ひどく心地いい・・・・。
今は健康だから思えるのかな、とも自戒している。昨年、死を目前に控えた日々が栄養になっているのだろう。
だが、これこそアメリカ個人主義の真髄。
自分の命を自分で最後まで生き抜く、という力。それが、もっとも尊いことなのだという思い。十代に知り、身体の底に沈殿していたものが、五十年たち、ようやく腕の皮膚の上に姿を現してくれた。他人にはわからなくても、きっと私の顔つきは少し変わったのではないかと思っている。それも、自分でいうのもなんだが、ちょっと、いい方の顔に変わったのではないかと。