2015年04月28日

怒りの沸点

 地球は自分中心に回っていない、という言葉は若い頃から知っていた。だが、実は、つい最近まで、その言葉の持つ本来の重みを知らないできたことを、ここに白状する。なぜなら、この一年でようやく「ああ、本当に地球は自分を中心に回っていないのだ」とため息をつきながら思えるようになった。実に、その自覚は己の限界を知るという情けない心の操作だと、どこかで思ってきた節があるのだが、実際は全く違っていた。
名称未設定 4.jpg
 怒りについて語れば、これまで「どうして、こんなに小さなことで怒り狂うのだろう」と内心、ひとりで自分をもてあましてきた。いずれにしても、「こんな些細な怒りをコントロールできないのだから、ほんとうの意味で立派な大人になれていない」と。しかし、どうだろう。地球云々がまわっていない、と実感し始めると、驚いたことに〈怒り〉の沸点が変わり始めた。これまでは〈自分の都合〉とやらが沸点だったが、今は、〈地球は己を中心に回っていないのだから、どのように対処するか、それが一番のテーマ〉という冷静な立ち位置に自分をすえることができるようになった。驚くべき飛躍である。
名称未設定 2.jpg
 友人への見方も変わってきたような気がする。私の周りに友人たちは、いわゆる、いまだ世間知らずの、オールドお嬢ちゃんばかり。そんな中、「酸いも甘いもかみ分けた素敵な大人」と思える同年代のキャリア女性に、地球云々の話をしたら、笑いながら、「ほとんどの女性が、それにきづかないで終わるのでは」と言っていた。それは、働いている、働いていない、に関係ないと。これが男性特有の平衡感覚との違いだな、とひどく納得。
名称未設定 3.jpg
 いずれにしても、地球云々が、良い意味で私の中に熟成すれば、あらゆることに対して一皮剥けるような予感すらしてくる。それは悲しみであったり、孤独の淵であったり、死への恐怖であったり、愛ですら。ちなみに、あのハリウッドの往年の女優・マリリン・モンローの一番の問題は、自分以外の人間にも問題があるということを理解できなかった点だ、ということらしい。
名称未設定 5.jpg
posted by アンジェリカ at 14:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

桜の季節に

 NHKのネックスト・ワールドを見て衝撃を受けた方も多いと思う。なんと一日生きるごとに寿命が六時間ずつ長くなるという。そして、三十年後には平均寿命が百才になるとか。これが真実だったら、とんでもない時代に遭遇してしまった。正直なところ本能的なうれしさはないとは言わないが、むしろ、どうしてくれるんだ! という戸惑いの方が大きいのは私だけだろうか。
名称未設定 2.jpg
 若い時はホーソンの〈偉大な石の顔〉みたいな素晴らしい年輪を重ねた人間が、日本のどこかの寒村や漁村にいるかもしれない、と夢想していたのだが、自分が還暦を迎え何年も過ぎてわかったことなのだが、「年を経て仙人のように熟成している大人など皆無に近い」ということに気づいてしまったのがひどく哀しい。
名称未設定 3.jpg
 五十代あたりの、いつの頃からか人間として最高にすばらしいことは〈有名になることでもなく、お金があることでもなく、前向きに生きる力を持つこと〉と信じて、命のあるかぎり最後まで立派に生きぬこう、と決めてきた。
名称未設定 1.jpg
 その目安は両親の寿命と照らし合わせて、八十五才くらいが着地点と思っていたのに、つい最近、どうやら九十才が当たり前の時代になったなどと聞き、びっくりしているうちに今度は百才だ。一昨年、病気をしたせいか、桜の季節になると、「あと、なんど、この怪しいほどに華麗な花たちを見ることができるだろうか」と感傷にふけったものだが、望めば、これから二十回、三十回も桜の季節が見れてしまうなんて、いまだに半信半疑というところ。
名称未設定 4.jpg
 いずれにしても、年を重ねることが幸福と繋がらないならば、なんのために人は長生きするというのだろう。誰もが金銭的基礎固めから設計図をつくりなおさなければならない。そして諦めることなく、ホーソンの〈偉大な石の顔〉を探して行きたいと心から願う。
名称未設定 5.jpg
posted by アンジェリカ at 13:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする