2016年01月04日

一年の終わりに・心のくぼみ

この秋、自分の未熟さをもってしたことなのだが、大いなる体験をした。というのは、普段、常々、大切に思っている友のことを、彼女の親族の前で堂々と中傷してしまったのだ。もちろん、その時は、悪口を言ったつもりはなく、家に帰ってから、なにげなく言われた相手の立場にたってみて愕然とした。
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 自分がどうして、そのようなことを口にしたのか、見当がつかない。確かに日常生活の行動がすべておおざっぱな私に対して、長年の友は、まるで姉がずっと年下の妹を諭すように注意してくれる。数が重なると、ありがたいより「うるせいなー」と思ってしまう。
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 また、私は形而上学的思索を身につけたいと望むが、比して彼女は直感的賢さの人で、そうした話はチンプンカンプンらしい。このほど左様に違うふたりなのだが、私は彼女のことが心から好きなのだ。救われたこともある。なのに、なぜ・・・・。

 胸が痛み、夜半に目を覚ましてしまったぐらいだ。

 それで思い起こしたことがある。娘のことである。
 すでに、このエッセーに親子の折り合いが上手くゆかない、と書かせてもらっている。事実、昨年の冬は、娘から思いもかけぬ惨い言葉を使われて、母親を卒業することにした。今は個として前向きに、快活に生きているが、心の襞に埋め込んだのは、「もしもあの子が、私を本気で憎んでいたら」という問い。その答えの一角が見つかった。
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 人間の心には、様々な感情が入り乱れている。口にした言葉も真実かもしれないが、正反対の意見も、同じように感情の中に入りまじっていることもある。本人も気づかず、眠らせているものもあれば、気を許して、親しいが故に中傷してしまうということもあるのだ。互いに百パーセント受け入れあうということはありえないのだから。まるで、広場のどこにでもある窪みに足を取られたようなもので、大いなる体験をしたと言わざるを得ない。小人なので「二度としない」と誓えない自分がそこにいて情けない。
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 「我々は、相手にやられたことには敏感で、自分がしたことには鈍感になりやすい」と言ったにはある神父の言葉。
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posted by アンジェリカ at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする