「成長や改革、変化の中にこそ、本当の安定がある」であった。
それを、改めてiパッドで確認した時に、驚きと賞賛で目をむいた。
時代は常に動いているのだから、新たな波の行方を意識しながら、こちらも刷新してゆかなければ、大海を乗り越えて行くことはできないはずだ。この言葉は、かの飛行機野郎リンドバーグの奥方、アン・モロー・リンドバーグからの引用であるらしい。

いずれにしても、小池知事の出現により、男のもろさと愚かしさをこれからも恐らく露呈して行くのが、都議会の面々だと思っている。自民党は、自己の立場をおもんばかって変容しようとしているから、まだ、ましだ。森さんも、時代錯誤で滑稽しかない。つまるところは「気に入らねえ。俺の言うこと聞けねえなら、面白くないから、あっちへ行け」。まるで頭脳は中学生。

いずれにしても「日本の可愛い女」の時代は終わった。
とうとう、日本にも、サッチャーのような強い意思のある大人の女を体現する女性が現れたのだ。これまで、日本の男達は、自分の手の内をみすかされない「可愛い女」だけをもてはやしてきた。コインの裏側から見れば、それは男達の自身のなさの現れである。そしてまた情けないことに、女達も、年齢に関係なく、男達にもてたいために、いかに若くみせるか、いかに可愛くみせるか、私は苦々しく思ってきた一人である。

小池さんのいいところは、クリントン女史のように男勝り風に振る舞わないところである。また、クレオパトラのように女であることを利用して、男たちを手のひらにのせ、転がすわけでもない。
日本の男という生き物の行動基準が、「いかにメンツにこだわるか」ということであるのを見抜いて、持ち上げるところは持ち上げて、大人の女のエレガンスな雰囲気を湛えながら、百戦錬磨の知性と経験で見事に切り返してくれるからである。

順風満風の頃のサッチャーは、議会で、並み居る男達が、「キンタマのあるのは彼女だけ・・・」とひそかにうなだれた、ということらしい。
政界渡り鳥であろうとなんでもいい。ともかく、子宮が持つ潔さを軸にして、男達のピラミット型理論でなく、「少なくとも今は、都民のために本気で奔走してくれそうな人」を、一握りの利権狙いの盗人達に潰されぬよう祈りたい。
