
前半に、女のあり方や孤独について胸をつかれる個所がいくつもあって、後半に、人生の午後の過ごし方を、衰えととるのではなく、青春と同じ比重の成長期ととらえようという趣旨が書かれていて、ひとり、小躍りした。それというのも、この夏の私なりの、小さな、新たな体験をいくつか試みていたからだ。

ひとつは倹約。内面的思慮深さとは無縁で、ここに記すには気が引けるが、実に生まれて初めて? 倹約っぽいことに成功することができたのだ。
これまではレッツ倹約をとなると、極端に走っていたので、だんだんに視界が狭まってゆくような感覚に陥り、同時に、自分の身体が一寸法師のように縮んでゆくような気がして、ウツっぽくなってしまっていた。そこで、ある日、もう倹約止め! どうにかなるさ!と騒ぎたて、パーとお金を使い、元気を取り戻す。その繰り返しだった。

しかし、所詮、パートナーはサラリーマン。貯蓄などたかがしれている。
もしも運よく長生きしてしまったら、待っているのは老後破算。そこで、プチ在家修行僧のつもりで、これまで疲れたら、すぐに入っていた喫茶店やレストランを止めてみよう、と思い立ち実践してみた。するとどうだろう。それだけでも負担額が違うので、びっくりした。その上、ウツになるどころか、毎日が律されていて心地良い。これもダイエットのおかげで、健康になったからできることなのだが。

もうひとつは、愛犬と山の暮らしに必要だった「いわくつきの車・ランサー」。
昨年の夏、その戸惑いをこのページに記させてもらったが、この秋、とうとう別の小さな白いジープに乗り換えた。もっと私に勇気があったなら、ずっと乗ってあげることができただろう。けれど、現時点で、日本に五台しか走っていない車によっての不思議な「かたみの狭い体験」が、自分にとって、どれくらい薬になったのか、はかりしれない。

きっと、リンドバーグ夫人の「海からの贈り物」というエッセーは、「他人と比べて私の方がまし」という類いの幸せを感じている間は、その良さは、永遠にわからないのかもしれないですね。この最後のセンテンスは、私にこの本を紹介してくれた四十才・男子の言葉です。