2016年12月13日

差別という観点から見た大統領選

 十月後半から十一月半ばまで連日連夜、アメリカの大統領選が巷の話題を独占していた。どうして日本人がそこまで関わるのか不思議でもあったが、テレビのキャスターたちが、共和党陣営に出向き、口角泡を飛ばして得意げにレポートしている様など見て、内心、思っていた。「彼等は、差別というものを経験したことがないから、自分が、そこにいることも黄色い目で見られていることに全く気づく風はなく、はしゃいでいる。なんと滑稽ンこと」と。
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 トランプが「偉大なアメリカを再び」、と叫ぶ裏には「これ以上、奴らにデカイ顔をさせるな。白人優位主義であった良き時代に、もう一度、戻ろうではないか」という呼びかけであるはずだ、と私はパートナーに連日話しかけ、煙たがれたものだ。実際、これまで日本人と話していると、自分たちが有色人種であることすら知らない人が多いので驚く。言われて、初めて「そういえばそう。黒人だけだと思っていた」と言う訳だ。
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 サンタモニカにアパートを借りていた頃、白人女性の友人余人と食事をしていたら、中の一人が「この国は、差別の国だと言われるが、私は、断然、差別主義者じゃないわ」と言うので、調子に乗って「私も同感よ」と口を挟んだら、中のひとりが,プッと吹き出し、あとのふたりは口を閉じて顔を見合わせ、もう、ひとりはニヤリと笑って、会話が続かなくなったことがある。
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 すぐに立ち上がり、レディースルームに出向いたが、私がいない間、「なんという厚かましいジャップだろう」と目で語り合ったこと請け合いだ。多かれ少なかれ、白人たちは
皆、優位意識を持っているのだから、「ありがとう。感謝します」式の顔つきをしてスルーしなくてはならない話題だった。
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 故に、オバマ大統領誕生の時には、かぶりつきで朝までテレビにしがみつき、亡き父や祖父に語りかけていた。「こんなことが起きるなんて夢のようだね」と。でも、やはり、揺り返しがきたのだ。それは、ある種の必然的な社会運動に近かったかもしれない。自分たちのテリトリーを守りたいという生命の発露のひとつの現象として。
 が、しかし、それで留まっているはずはない。時代は常に先に進む。四年後、またまた力をつけてゆく有色人種との闘争のもみ合いがくること間違いなしだろう。たとえばオバマケアはうまくゆかなくても、「米国の民主主義は、ひとりの人間より大きい」というオバマ氏のアテネでの偉大な演説を私は信じたい。
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posted by アンジェリカ at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする