
これまでは人間関係で失敗したな、とウツっぽくなっていると、次回、その相手に顔をあわせるやいなや、「この間がご無礼しました」風に詫びるのを心がけてきた。いくつになっても素直さだけはなくさぬように、などと思い込んできたのだが、実は下らぬことをぐちぐちと胸にためこんでいるのをなくすためでもあったような気がする。

故に、「さっさとあやまる」ことをせず、離れたところから相手の顔などを眺めながら「言い分けはやめよう。それが今の私の実力だから仕方ない」などと独りごちていると精神的に落ち着きが生まれてくるように感ずる。なんだか同じ失敗をなんどもくりかえさないような気もしてくるから不思議だ。

また、今年一番の収穫は、キャリアある女性リーダーのある文章だった。
最初の一行を読んだ時、胸に矢が刺さり、身体が硬直したといっても過言ではない。
残念ながら、その方の名はノートに記さなかったので記載できないが、その文章を、さっそく自分流に置き換えて書き写し、いまも壁にはっている。それは、こんな具合です。

「これまで私は、愚かにも、友情や親子の愛情表現など、絆というものが本音をぶつけ合える関係だと思い込んでいました」
「でも、そうではないのですね」
「嫁なんだから親をみとるのは当たり前」
「親なんだから、なんでもしてくれるのは当たり前」
「友人なんだから、自分の側に立って、一緒に行動してくれるのは当たり前」
そうした考え方の違う相手と、どうやって折れ合っていったら良いのか、
「相手の自尊心を傷つけずに、言葉を尽くすしかないんですよね」

目からうろことは、このことだった。笑われるかもしれないが、これらのことは「ほんとうの成熟した人間になるため」の我が生命遺産のひとつに加わること間違いない。
来年は、「有言実行」ではなく、「無言実行」というのを試してみたいな、などと思い巡らして年を終わろう。