今年になってかなり調子が悪くなってきたので、まずは近所の医者に行くと、年齢と関係なく五十肩だという。言うとおりに通い詰めている最中に、背後からぐさりとマッサージを入れられ、その夜から激痛で苦しむようになった。明け方、四時頃から目が覚めて全く眠れない日々が続く。

ベットの両脇にクッションを置いて寝返りすら打てずに一カ月半ほど。このほど、ようやく、まともに眠れるようになった。自然治癒をうながす矢追インパクトだけをたよりにして。そこで体験したのは「痛み」というものの威力の凄さだった。丸二日も痛みを身体ごと受け入れていると、性格が変わってしまうほど闇がまわりを包み込む。顔つきもかわりそうになり、傷みのメカニズムを調べる。

というのも、かねてより、自分は、「普通より過敏症」と自覚してきていたからだ。そして、それを、心のどこかで自慢げに思ってきたふしがある。「私って選ばれた人種なのよ」などと馬鹿馬鹿しく自分を甘やかしたかったのかもしれない。けれども、今回は、そんな自己憐憫にひたってはいられない事態だった。

常に、戦闘態勢である交感神経を駆使して、じっとしたまま痛みの来るのを待機していると、線香花火の痛さでも、ローソクに火くらいでも、火災警報器が鳴りです、という事実。実際、自律神経は「痛くなくても痛みを記憶している」というのは誰もが知っている。「足をなくした人が足の指の痛さを感ずる」という例で。

故に、「痛くても、気にしない」から初めて、先週から、どこでも出かけることにしている。それで悪くなっている風もなさそうなので、ひとまず続けてみよう。これを機会に「過敏症」が卒業できたら、ピンチはチャンス。そして、いつか、どこそこの行者さんのように、「火のついた炭の上を歩いてもやけどをしない」なんてことが、習得できたら再航なんだけど・・・。
