2017年09月08日

体罰と娘

 世界的ジャズ・トランペット奏者の日野瑛正が、才能ある若者たちを育成しているコンサートで、ドラム演奏中の中学二年の少年の「髪の毛をかきむしり、往復ビンタをした」という記事が週刊誌にでていた。そんな馬鹿なことが、と驚いたが、実際のところは、その中学生がジャズの掟を破って、ひとり舞台のつもりでソロを続けた故の「怒りの体罰」であったらしい。
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 ところが数日前、帰国した折りのインタビューで、マイクを向けられた氏が「ねえ、あなたたちが、こうすることが日本の文化を後退させているということに気づきませんか」とは言ったものの「そんなあ、ほんのちょっと叩いただけですよ」「あの少年は息子のようなもので、本人もあやまりにきているし・・・」「でも、これからは叩いたりしませんから」と述べているのを見て哀しい気持ちになった。
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 「権威主義の崩壊」「ほめるしつけ」「子供も大人も、みんな平等」という流れに、あのヒノ・テルマサまでが押し切られてしまっている。つまり「納得ゆきませんが、時代にあわせてゆきますから勘弁してくださいよ」という心の声が聞こえたような気がしたから。
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 できることなら、「根性を鍛え直すための手段なのだから、どこが悪い。怪我をしていない範囲だろう」「往復ビンタくらいで、いちいち騒ぐな。口で注意してもきけないから身体に教えてやったのだ」くらい凄んで欲しかった。と書き記し、はったと手がとまる。先月、このエッセーで、時代のめまぐるしい動きに順応してゆくことのむずかしさを嘆いたばかりなのに、もう、やっている。今の時代は、体罰は弱い者いじめと同列だと聞く。
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 一方、こうした事件が取り沙汰されるたびに、痛みをもって私の胸を去来するのは娘が四才になったある日のこと。
 ちょっと目を離したすきに、娘は年下のふたりの幼児を引き連れて冒険にでかけ、迷子になり、夕方、交番から電話が。その夜、私は恐怖と戦慄にすくみあがったまま怒りの手のひらで、泣き叫ぶ娘の小さな尻を腫れあがるほど叩いたのだ。
 二度と同じことをやらせないために。
 警察の方が、「怒らないでやってください。自分で考えて交番に来たのですから」と言ってくれたのに・・・。
 あの夜、私は、浅はかにも「幼い娘の内なる大切な能力」を奪い取ってしまったのかもしれない、と今もうなだれる。
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posted by アンジェリカ at 12:15| Comment(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする