2017年12月04日

免れた認知症

 今月は勇気を出して記すことがある。現在、七十八才の夫は四年前まで現役であったが、「この世で一番好きなこと、それは監督としてドラマをとるためにスタジオに入っていること」と豪語していた。それ故に、この人が現場を去ったら廃人同様になるかもしれない、という危惧は常に抱いていた。
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 知り合いの方の夫で、有名企業のオーナー社長が入院した時、夜中に徘徊が始まったということを聞き、他人事ではないと思った矢先のことである。引退した後、夫は疲れているからといい、外出もせず、誰ともつきあうこともしなかった。よほど身体がきついと思い黙っていたが、気づいてみれば夫が話しをするのは私だけになっていた。娘とも、どのように接したら良いのかわからないと主張するのだ。
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 夏、整体師に身体を調整してもらうための軽井沢で、流行の星野リゾートに出向いた折り、久々に意気揚々と飛び出した夫は桃太郎を連れて遊歩道を歩きだしたが、途中で引きつった顔をして立ち止まっていた。駐車し終えた私が出向くと夫は言った。「桃太郎がウンチをしようとしていたので、みんなが睨みつけている」と。私は、びっくりして生唾を飲み込み「そういう時は失礼しましたと言って平然としていればいいのよ」とやんわり言ったはいいが、めまいがして立っているのがやっと。顔面蒼白になっていたはずだ。
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 遂に来たのだ。恐るべき時期が。これまでも兆候はあったので、それを言うと、大声でわめきだして感情的になるばかりだった。しかし、もう捨て置けない。ぐずぐずしていられない。医者に依存する前に私の力で鬱を脱出させ、人と交流させ、言語能力を回復させなくては・・・。今まで、「男という者はわがままな種族なのだ」と嘆きながら仕方なく受け入れ、我慢してきた女たちの因果でもある。そして・・・それが、唯一の娘への子孝行であると確信して戦う道を突っ走ってみた。
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 あれから数か月。これまでは病気を理由にタクシーしか乗らなかった夫がバスと電車に乗る。引っ越して十三年。初めて参宮橋の駅の構内に入ったはずだ。夫が暗くて深い穴に落ちてしまった一番の理由は「そこそこ社会的に成功したため、肩書きを除いた自分を受け入れられないままでいた」と断言できる。肩書きをのぞけばタダノどこにでもいるひとりの老いた男。そうした自分に自信がなくて、人との交流を避け、外出しないでいた。毎朝の寺通いは今も続き、自分のありのままの姿を眺め、カルチャーセンターで空海を学び、渋谷区の施設で行われる俳句の会にも入り、マージャン仲間もできた。夫に言っている。「自分の職業に関しては絶対に口にしないでね」と。
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posted by アンジェリカ at 17:47| Comment(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする