改めて、「挑戦」の中身を辞書で引くと、一に、戦いをしかけること。二に、これまで手掛けたことのない、困難な物事に立ち向かうこと、と書かれている。

周知のように出版業界の不況は深刻で、今ほど本になりにくい時代はない。
かつて、夫に「死にきれないから、やらせてください」と頼み込み、愛犬と共に軽井沢に出向き、八年がかりで千枚近い長編の寓話風小説を、ある若手の編集者に指導にそって書き上げた。その時点で、出版業界は不況に入り、保留として扱われたまま。
けれども同拙品が、別の大手出版のベテラン編集者の目に留まり、今年、五百枚ほどの長さに短縮させることができた。しかし、それでも、日の目を見ることは叶わない。

出版社だけでなくテレビ業界も、かつてのように編集者やプロデューサーが企画立案して無名の新人を世に送り出したり、新番組を始める、という余裕がなくなってしまったのだ。「業界は斜陽産業となり、いつかなくなってしまうのでは、とも思いますが、私たちはコンテストをやり、年に一度は素晴らしい新人をひとり、世に送り出していますから・・・」とはある女性重役の重い言葉。

いずれにしても、我が拙品は変化球なので、日本の文芸の王道を通ることはできない。
「こだわりなんて捨てなさいよ」という心の声も聞こえてくるが、「それがあなたの持ち味なのだから、磨いて、時代がくるのを待ったほうがいいのでは・・・」という声も聞こえてくる。なにしろ、今は、人生九十年時代なのだから。

そこで思う、挑戦の意味。こんなにも真剣にものごとに打ち込んだのは、生まれて初めてではないかと。もちろん自分自身のためにおいて。それまでは昼夜逆転の夫と娘に捧げてきたのだから。時代が悪かった、巡り合わせが悪かった、と言えば簡単だ。しかし、それでは気持ちが停滞しているだけで明日は見えてこない。さて、どうやって、何をして生きてゆきますか。
挑戦とは、針の穴の先をめがけて挑むこと。
