
故に、学生時代から、ちょぼちょぼと書くことにこだわって未だに続いているのは、一重に「書くことが、そうした自分から抜け出るための手段」とどこかで信じているからだ。では抜け出して、どのようになりたいのか。できることなら「強くて、たくましくて、何事も笑い飛ばせるような人間に」。

子供の頃、「オズの魔法使い」というアメリカの童話に夢中になった。
そう、ラスベガスのあのオズタワーのオズ。ご存知の方も多いと思うが、竜巻に乗せられたドロシーという孤児の女の子が、不思議な国に生き、冒険をするのだ。そこで出会った仲間は、弱虫ライオンと頭がカラッポのかかし、そして心がないブルキの人形で、四人は自分の欲しいものをもらうために、大魔法使いオズに会いに行くことにする。ところがせっかく苦労してたどり着いたのに、大魔王は偽物で、何の力もない小男だった。さーて、家に帰りたいドロシー達はどうなるのか、という話で、当時の私は、「なぜ魔法使いは、にせものなんだ」とひどく怒っていた。

ところが成長してゆくにつれて、オズがにせものだった理由があきらかになってくる。お菓子の家だと思って近づいていった建物はボロ宿であり、この世に楽園などは存在せず、簡単に願い事をかなえてくれる魔法など、どこにもないのだから。

では話の中の、偽物小男を前にして、ドロシー初め四人はどうなっていたか?
大魔王オズに会いに行く道中の困難を乗り越えるために「弱虫のライオンは勇気を出していた」「考えることができないカカシは思い切り知恵を絞りだしていた」「感ずることのできないブルキは涙を流していた」という経験をしていて、大魔王の手を借りずとも、彼等は自力で欲しいものを手に入れることができたのだ。

いまだに私は大げさにうなずく。まるで人生そのものではないかと。
苦しい時、自分で期限を決めてしまって、勝手に挫折を感じてしまう時。
オズの魔法使いは、いつもそばにいてくれる。
仏の道で言うところの「考えるな、いけ!」ということなんだよねえっ。