
所属している教会の神父が、こんな話をしてくれた。あるボランティアの方たちの体験談として、ホームに入っているお年寄りすべての方に共通する話題が三つあるという。一つ目は 「寂しい。家族が来てくれないので寂しい」だから「まだ、帰らないでくれ」。二つ目は「居住している仲間たちの悪口」だそうである。三つ目は「自分の叔父さんや 家柄などの自慢話」。その背景には、「こんなに自分はえらいのだから、もっと大切にしてほしい」ということらしい。

それに比べてキリスト教関係の経営しているホームは「雰囲気が違います」と言う。まず、「寂しい」とは言わないとか。カトリックの洗礼を受けている者としては、本当なのかなあ・・・・と眉に唾をつけてしまうほど恥じたりするが、わかるような気もする。

私自身、どんなにキツイことがあっても、くじけないでいられるのは、やはり信仰を持っているからだと思える。それでも日本人風視線も手伝ってか、それを認めたくない自分もいて、「罠にはまったな」とか「錯覚で思い込んでいるだけかも」などと第三者的野次馬で騒ぐことも忘れていない。

神がいるか、いないか、のテーマは、しばしば「頭で考えてはならぬ。心で感じること」と言われている。夫に「毎日続く秘訣は」と聞くと、「手を合わせないと、一日が落ち着かなくなった」と答えていた。 実感認識が 勝利したのだろう。桜散る春の一日。誉師の法話で本人がメモしてきた紙が、今も我が家の観音様の足元に置かれている。
我が身 眺めて ほろりと涙。 こんな私で どうじゃやら
案じやんすな。 この弥陀は そのまま来いと お呼び声
禅宗と違い、 浄土真宗とカトリックの精神が余りに似ているので、びっくりしました。
