2018年06月04日

あえて言わせてもらいます

 年に数回会う友人が、「世話してきて亡くなった舅に、夫が似てきたので嫌になるって言っている人がいて・・・」その時、私は「なんてひどいことを。自分だって同じように年をとってゆくのにねえ」と声を大にして叫んでいたのだが、そ、それが・・・ここのところ「わかるようになってきてしまった」のだ。つまり八才年上の男の老いの嘆きに接しているうちに。
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 故に、人生百年時代。長生きし過ぎ資金確保のために、羽根木の仕事場を賃貸にしようと夫婦で話しあっていたのだが、どうしても躊躇してしまう何かがある。気持ちをかい探って行くと、その仕事場がある意味で「老いからの避難場所」になっているような気がしないでもない。親しい友に打ち明けると「だから私はしょっちゅう出歩いているでしょ!」と明快な答えが返ってきて愕然とした。
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 ならば倹約のつもりで賃貸にしたとしても「図書館帰りに、どこかでひとりでゆったり夕食」「女友達としょっちゅうランチ」。あけすけに書くのは気がひけるが、確かに家にいたくない。帰りたくない、という心境が、実践してない前から予想がつく。
 まるで、最盛期の男達が会社が終わった後、妻の愚痴を聞きたくなくて、いっぱい飲み屋に寄って午前様にならなくては帰れないというような・・・。
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 家庭を粗末に扱っているわけではない。夫を粗大ゴミとして嫌悪しているわけでもない。きっちりと友も私も誠実に生きてきた。
 でも、団塊以上世代は、まだまだ男が沽券を振り回して、わがままし放題に生きてきた時代である。それが、年を経て「身体のあちこちが辛い。夜は眠れない。入れ歯の調子が悪くて食事がすすまない」などと聞かされていれば、女性はソッポをむきたくなる。若い時は年上だといってはいばり腐り、今度は「どうして、こんなに辛いのに同情してくれないの」というわけだ。甘ったれるのもいい加減にしてほしい。
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 朝一番のデパートに行く用事ができて、おったまげた。私と同じ世代の女どもがうようよしていたからだ。ある人は派手な化粧に一張羅の服、小脇に高価そうなバッグを抱え、ある人は虚ろな目をして、しわくちゃな普段着で、のろのろと歩きまわっている。ああ、ここは避難所だ! ある意味で、哀しい女のゾンビたちの逃げ場所だ! それを夫に話したら、「やっぱり仕事場はしばらく借りておくことにしよう」ということになった。デパートをうろつけば、数回で倹約生活が吹っ飛ぶことを知っているから。
 あと、もう、ひとつ。
 写真は娘から届いた母の日の花。未来が怖くなるほどの喜び。
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posted by アンジェリカ at 16:42| Comment(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする