その中で、ワキの話ではあるが、ダイアンレイン扮する主人公の母と娘の関係が、我が家とよく似ていて、一切合切うまくゆかない。娘は反抗を通り越して、母親を嫌悪しているようでもある。けれども、母親が生きる気力をなくしてしまうと、人格が変わったように弟の世話をしたり、家事をこなして大活躍を始めるのだ。
スターチャンネルで、なんどもやるので、「 羨ましい。我が家も、もしも、ほんものの危機に陥った時には、あのように変身してくれたらなあ、、、」などと横目で思い、ふと我に返り「いやいや、あの子は、10代後半。うちは、そういうわけには ゆかない。何しろ 小学校の時も、中学も、高校の時ですら反抗期がなかったのだから」と自分に言い聞かせていた。
反抗期のなかった子供は、大人になってから本来の自我を形成してゆかねばならない。そのためになす反抗は、叛逆にも近く 、親を全面否定するところから始まり、爆竹のごとく凄まじく、場合によっては、一生そりが合わない親子もあると聞く。ある意味で、子とは親の胸元を突き破って反対側から出て行く、と。思えば、私自身も反抗期がなかったので、娘のそれがなくとも気にならなっかったというのが落とし穴だったかもしれない。
それが、、、。
これまで、自分の気持ちをそれとなくこぼしていた友人に「夫は 未だに 入院中ですが、娘がぴったりと寄り添ってくれ、大活躍してくれています」とメールできる喜び。何にも変えがたい。実際、娘は、立場の違う夫と私、それぞれ別々の視点で捉えて手助けしてくれている。「ああ、自分の育て方は間違っていなかったのだなあ」と実感がもて、人生の不思議な回り合わせを味わっている。
一月一日。ご先祖様から託された我が家の観音様に、娘一家四人が、この一年の無事を願い、手を合わせてくれた。長年の夢が叶い、その夜は、夕方六時から 夜中の三時まで、一度も起きずに深い眠りの中にいた。写真の上弦の月と明けの明星は、その数時間後。マンションの前でポールウオーキングをしている時に見つけたものです。