今は「溜まってしまった何かを捨てにゆく場所」。行きたくなると、もう、わけもなく衝動が湧いてくる。確実に、出かけた時と帰ってきた時の気持ちが変わってくれているからだ。それは、私の場合、内海では効果がなく、外海でなくてはならない。

その点、下田まででかけなくても、鎌倉高校前の海は文句なく百点満点。なんとも雄大なのだ。浜辺に降りるまで、線路わきや踏切も中国人のカップルに占領されてはいるが、少しも気にならない。ゆうゆうと歩いて浜に腰を下ろして、海と二人きりになる。
雑念がある間は、洗浄は開始されない。ただひたすら海のうねりや水平線に見とれている。

太陽が出ていない時は、引き潮が砂に 残してゆく色や形。なんとも味わい深く、心を落ち着かせてくれる茶系のグラデーションだ。そして重たい雲が切れてくれると、スポットのように何本も誕生する光の柱。あれは 天国に繋がる階段だと思いたい。もうひとつ。太陽が顔を出せば、さざなみに揺れる豪奢な光の帯。
時間のたつのも忘れた後、由比ヶ浜方向に歩き出して、海の見える和食屋さんで遅めの食事をする。

帰りの江ノ電では、横に中国人のカップルが座った。いかにも富裕層そのもので、女性は赤ん坊を抱いている。奥に小さくなって乳母車をしっかりと掴んでいる十代の子はお手伝いだろうか。若ママが、赤ん坊を手渡して携帯を取り出す。その待ち受け画面が、目に飛び込んできて、私はびっくりする。なんと、それは、その若ママがおもいっきり口を縦にひん曲げて開き、豚そのもののように鼻の穴を上に向けて、どう見ても「自分の一番 醜い写真」であるのだ。
これを見るたびに本人はどんとこい! 何が来ても怖くない!と言っているような気がした。

これでは、日本は 中国に負けますよね、とため息がでた。私がこれまで偶然見てしまった日本の若い女性の携帯に貼ってあるのは、ほとんどがプリクラのお目めぱっちり 「かわわゆい私」写真だったから。
