「ねえ。どうして人は生きているの」「なんの意味があって、人は生きているの」「生きる目的は一体なんなの」。体育会系の母は心底困り果てた顔をして、「どうして そんなこと聞くのよ。そんなおかしなことを言う子供はいませんよ」と言い捨てていた。 が、ある時、思いついたように「人はみんな子供のために必死に生きるんです」と言い切ってみせた。
その時、私は 生意気にも「それはどこか違う」と直感的に思った。生きる目的が、そのようなものだけではあってはいけないと。母が一生懸命考えて絞り出した答えであるだろうに。
それから半世紀、片時も離さず、そのテーマを抱え込んできたような気がする。今も、海の前に佇む時は、その疲れを癒すためだと断言できる。いまだに、「 人間として 素晴らしくなるにはどうすればいいのか。真の成熟とは、どのような姿か」と自らに問うている。
それを友人たちが知ると、彼らは「偉いわね。この年齢で求道的なんて 」といくらか小馬鹿にしたような、いくらか呆れ果てたニュアンスを混じえてクスリと笑う。その目は語っている。「あなたって変わり者なんだよね。私は今更変わるなんてまっぴらごめんだわ」
私は幼少の頃から父親を知らずに育った。子供側から見ると、仕事拡張ばかりの人で年中不在。どんな人なのかわからぬほど交流はなく、子供たちの成長には無関心のように見えた。
思春期の頃、普通の家庭のように父がそばにいて、その社会性や教養で、生きる道の発見のヒントを示唆してくれていたら、私はどんな人間に育っていただろう。考えるだけでわくわくしてしまう。それほど父性の持つ知性に飢えていた。
けれども父は さりげなく言った。「嫌な話は 聞きたくない。いい話だけにしてくれないか」
父もギリギリのところで闘っていたのだ。
今なら、その気持ちが理解できる。