昨年の十月、毎月の検診に行き、そのまま即入院となって、大量のステロイドを投入しながら一週間後には生死を彷徨い、なんとか回復して、暮れには原宿のリハビリ施設に三ヶ月、そのあと新宿のリハビリ施設を経ての帰還だった。

その間、一人娘が率先してキーパーソンになり、自分の家庭を放りだすほどの熱心さで、心をこめて尽くしまくっていた。父親との濃密な交流は、子供時代からの夢だったそうだ。私も 父が亡くなる前の数ヶ月、泊まり込みで世話ができたのは、未だに幸福感として思い出すたびに 心が和んでくる。

ところが、パートナーは、我が家を守る観音様には香を炊き、手を合わせることはできたが、なんと退院祝いの夕食の食卓につく前に、リビングで腰を痛めてしまい 動けなくなってしまった。
気持ちはわからないでもない。十年越しの狭窄症をかかえている私をかばってか、嬉しくてはしゃぎすぎたのか、自身の能力を過信し、娘が病院から運んできた重いスーツケースを不用意に持ち上げてしまったのだ。これには、かわいそうという前に、もう、絶句するほかなかった。

その夜、私はキッチンで、一人、吹き出していた。切迫詰まった時に笑い出すことを、一体、いつ覚えたのか。笑いが収まると有難いことに、立ち位置が少しずれているようで気が休まる。
前々から、肺の使えない夫と腰の悪い私は 「目の見えない人と耳の聞こえない人」のコンビのように、互いの足りない分野を補いあって生活が成り立っていた。パートナーが、娘に連絡すると、「いい加減にしてください。もう、協力できません」と言われたらしい。娘も限界に近い生活になっていたのだと推察できる。

男性諸氏に文句を言うようで気が引けるが、パートナーは典型的ノンキの父さんで、やってもらうのが当たり前の戦前世代である。ケアマネジャーさんと相談して、しばらく我が家を堪能した後、退院したばかりのリハビリ施設に十日ほど入ってもらうことに 。本人は「よーし、必ず腰を直してやる」 と張り切って出かけたが、私の思いは全く別のところにある。

聖書 コレヘトの言葉 三章
天が下のすべてのことには 季節があり すべての技には時がある
生きるに時あり 死ぬるに 時あり 植えるに時があり 植えたものを抜くには時がある。中略。泣くに時があり 笑うに時があり 哀しむに時があり 踊るに時がある。中略。人がいたずらに悩んでみたところで 何になろう。