入り口で守衛さんとあいさつを交わし、空をおおいつくす鬱蒼とした葉陰を天井のように仰ぎ見ながら進むと、目の前には広大な萌黄色した芝が広がる。ここで私は毎回、息を飲む。「いよいよショーが始まるよ」といいきかせるように。目も喜んでいるのか、細い目になって、この情景と色彩を映像の記憶となるように、しばし佇ずむ。
とはいっても、告白すれば少女時代の私は、大自然に対して何の興味もわかなかった。もの心ついた頃にはすでに、父が東京で事業拡大をしていたので、私たち兄弟は祖父母のいる地方都市に取り残されていた。そのために、最大の関心事は知性に飢えての読書だった。
愛読書は、赤毛のアン。足長おじさん。ポリアンナなど、ほとんどが孤児の話ばかりだった。解凍ルパンには恋をして、バーネットの「小公女」は何回も涙しながら読み、限りなく影響され、子供心に「高潔」であることが何なのか学んだものだ。今でも、その本を大切に持っていて、時折、手にしては胸打たれている。
思春期になると、色々な本を読み漁ったが、当時、安保闘争で圧死した東大生の美しい女性「かんば みちこさん」の書簡の一説。「私は、これまで一分も無駄にして生きてこなかった」その言葉に衝撃を受け、当時、夢想していた将来の夢は、弁護士か女優になることだった。けれども1960年代、絶対権力者であった家長である父が用意した未来は、おびただしい見合いの連続であった。
大自然がなくてはならない唯一無二のものになったのは、四十歳を過ぎてからである。
青空の下、西門の大きな芝を歩いてゆくと、雨は降らずともスニーカーがびっしょり濡れる。それは、細長い葉一枚一枚に丸く固まり、危うく乗っかっている朝露の仕業なのだ。犬のおしっこでもなく、だれかが水撒きシャワーを動かしてまき散らした水道の水でもない。新鮮な。高貴な。たぐいまれな。大地が生きている証がここにある。ダイヤモンドのきらめきを見せて。
それを深く味わえるのは、自分がどうにもならない何かを引き受けて、逃げ腰になるのではなく、両足を地面にじんわりと付け出したからかもしれないですね。