
年齢が十三歳。まだまだ、十六歳までは大丈夫だと信じ込んでいた。
案の定、桃太郎は、大好きな湯川公園を闊歩して、星野温泉のハルニレテラスでは、私に話しかけながら自分の足で一時間近く歩き回った。やはり、こちらに来たのは正解だった、と思った矢先のことである。

異変が起きた。突然、トイレの量が一日何十回にもなり、処方されたステロイドを飲ませると、その夜から咳をくりかえし、やがて白い泡のような液を吐くようになった。医者によると、吐いものは胃液では、なく、肺の骨にこびりついているカルシウムだという。

「覚えはありますか」という医者の問に私は絶句した。
八歳の頃、落下して脊髄を損傷して生死をさ迷い、レベル五から奇跡的に蘇った時から、自分が飲んでいるグルコサミンを東京のかかりつけの医者に検査してもらい、承諾を得て、毎日、少量ずつ与えてきたのだ。おかげで以来、骨折はせず、歯も丈夫で、亡くなる数日前にも、大型段ボールの箱を大喜びで噛み切っては壊し、得意げの顔をしていた。親子ともども、これまで歯や骨折には随分と苦労してきたのだ。

いずれにしても桃太郎は、たった二日の入院で亡くなった。すでに胆嚢や膵臓の数値は崩壊していたらしい。会いに行った時には、医者が必至で心臓マッサージをしていた。
しかし、これだけは断言できる。
「あの子がいたから、私は、この夏、正気でいられた」
認知症になりかかり、それを認めずにいる厄介なパートナー相手に暮らした日々。こちらが怒りや混乱で狂いそうになった時も、あの子に声をかけるたびに私は正気になって、やさしい気持ちになれた。あの子は、神様が私に送り届けてくれた天使だった。今は、神様の胸ですやすやと眠っているに違いない。
