2019年12月07日

秋の長雨―孤独について

 ここ何日か、疲れが出て、昼間でもぼんやりしてしまう日が続いている。雨模様の薄暗い空のせいなのか。いたずら小僧のシンバも我が家に来て、早、一ヶ月半。生活サイクルに慣れてきたせいなのか。友人の計らいで、諦めていたドームでの教皇ミサにも出席できたにもかかわらず。そして、それは一生の思い出の一幕になったにもかかわらず、である。一体、どうしてこんなに疲労感があるのだろうと想い巡らし、はたと気づいた。
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 現在も夫は入院中であるが、先日、介護見直し区分変更の場に立ちあった。その折、別室で、検査員の質問に、担当の若い看護師さんが 「 ご主人は、最初の頃と違って人間的にかなり変わってきましたよ 」つまり、良くなってきた、という意味で。
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 その時は何気なく聞いていたのだが、その言葉の重みに「 ああ、救われた 」とじわじわ実感が湧いてきていたのだ。それが一気に疲労感となって襲ってきたに違いない。その言葉を貰うまで、いつ、何時、病院から呼び出されて、本人を叱咤しなくてはならなかったので、四六時中、緊張していなければ自分を保っていられなかったようである。
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 不思議なもので、今は妙に孤独感に見舞われていて、訳もなく切なくなる。その切なさは、かつて、パートナーが心身ともに健全だった頃の平凡な安定感。頼りがいのあった夫の後ろ姿がどこかで喚起させられるからかもしれない。もう、とっくに諦めた世界であるにもかかわらず。だから、私は自分に言い聞かせる。どうして、急に寂しく思う訳ですか。人は、皆、孤独であることは自明のことのと。いそれは誰もみんな同じなのよ、と。
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 それにしても 若くて愛らしいにもかかわらず、自ら過酷な職業に付いている看護師さんたち。畏敬の念を抱かずにいられない。
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posted by アンジェリカ at 16:25| Comment(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする