2020年01月14日

怒涛のごとく

 戦中派生まれの夫は、元気な頃、金銭の管理は自分がするから「一切、関知しないでもらいたい」と言っていた。それが男の甲斐性であるがごとくに。ところが入院中、固定資産税払うのに預金通帳を触るはめになると、妻は顔面蒼白。台所は火の車。いさかいを避けるため、ノンキな父さんにまかせたままであった妻の責任でもある。
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 その上、平成三十年十月、夫の会社が所属していた東京都報道健保組合が解散(倒産)して、厚生年金がでなくなってしまっていた。その知らせを受けた時には、余りに過酷な現実を受け入れられなくて、見て見ないふりをしていたが、もう覆い隠せない。一世を風靡して大手を振っていたテレビマンたちの、一つの時代が終結したのである。
 何年か前にマツコが言っていた。「私がテレビ界に入ってきた頃、ここは宮殿だった。今は焼け野原だわよ」。
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 それ故、怒涛のような大波にもまれた一年でもあった。
 ジェットコースターのように容態が変化しながらも、今や介護三になったパートナーの行く末を、大幅に減額された収入のもとで、頭をかかえ、ひとりで決断してゆかなくてはならない。愛犬たちがいたから、なんとか元気でやってこれた。
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 そして。
 この一年ほど周りの方々に助けられたという実感をかみしめた年はない。
 友人たちは、誰ひとり、介護を始めていないので、八十代の先輩たちの貴重な名言の数々。
焦りや不安、罪悪感に押しつぶされそうになる私に、確固たるアイデンティティを示唆してくれた。
 家の近くには地域包括センターがある。そこに老いた桃太郎を乳母車に乗せてふらふらと立ち寄ったりもした。そして、男性のケアー・マネージャー。私が深刻になりすぎると、「うふふ」と薄い笑みを浮かべてくれる。そこで私は、はっと我に返った。それに忘れてならない入院先の看護師長さん。皆が、一丸となって助けてくれたと思えるほど、日本の福祉のありがたみ、すごさを実感した。接した方々、みな、温かい人たちばかりだった。
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 師走の一か月、二転三転を繰り返し、年明け早々、パートナーは病院から都内の堅実なホームに入居することになった。本人はメールしてきた。「あなたが選んでくれた場所が、一番、いい場所だと信じています」と。
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posted by アンジェリカ at 14:23| Comment(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする