例えば、学生時代に背負ったローンを早く返したいあまりに、弁護士として給料の良い名高い企業に属してみたものの、「腐る日々」の連続で、ワインの定期便を解約したり、スポーツクラブを脱退して、自分の納得のゆく職に就くことにしたり、当時出会ったバラク オバマの偽善的ではなく、ひたすら世界に貢献してゆきたいという熱意に驚きを覚えて、「ユニコーン」と名ずけてみたり、家族のことを言えば、身障者の父を恥じるのではなく、終始堂々と尊敬の眼差しで見つめ、専業主婦だった母からは 貧しくとも愛と笑いに溢れる出自に誇りを持つように導かれたこと等。
書き出したらきりがないのだが、彼女は決して間違えなかったのだ。貧民街で暮らした少女時代も、他人の十倍努力した学生時代やボランティア団体の代表をしている時期も、世界の頂点に立っているホワイトハウスの中で暮らしている時期も、間違うことはなかった。
本当に贅沢が何であるのか。
人間の真の価値とは何であるのか。
こんな意味の下りがあった。子供の頃、誰に教わらなくても、誰でも、あの子の家はウチより広くて大きいし、お人形もたくさん持っているということに気ずく。けれども ずっと後になって、運が良ければ、そうしたことではないところに価値があると気ずくことができる。「運が良ければ」である。つまり、人間の暖かさの素晴らしさに。
私は、バラク オバマ氏が まだ 民主党候補だった頃に自伝「マイドリーム」を読み、その時から「オバマちゃん」と呼ぶほどのファンである。南アフリカ共和国 不屈の男 ネルソン マンデラ氏の葬儀の弔辞は忘れられない。「この人を見ていると、私たちは、自然と私たちの中にある良き部分を喚起させられるようになる。彼は 歴史上の巨人であった」平坦な言葉なのに素晴らしい。この夫にして、この妻あり。ああ、、、。