
実際のところ、最初の兆候が出てきた頃から、私は怒ってばかりいた。「しっかりしなさい」「情けない」「いい加減にして」「よくよく考えてごらんなさい」頭ごなしに、そんな言葉ばかり吐いていた。そうしないと自分が保っていられなかったからだ。それを親しい友人に話すと、「もっと優しくしてあげなきゃダメでしょ、、、」と言われ、切なかった。

というのは、相手の話をじっくりと聞いて理解し、どの言葉を選ぼうかと迷いながら受け答えしていると、「こちらが壊れて行く」のだ。
初期の頃は、ひとつ会話をするにも、これは正常な言葉なのか、それとも病気ゆえの言葉なのか判断しにくい。こちらも混乱してきて、いつ、自分も引っ張りこまれるかわからないという恐怖に身が竦む。思い返せば、激しく憤ることによって、鋼鉄の武装をしていたといえる。

最近のアメリカの統計では、連れ合いが認知症になると、夫、妻も鬱病になり、認知症になる倍率が、通常の病気のケースの六倍に当たるということである。いかにも、と溜飲を下げた。
ところが、、、コロナ疑惑で二十日間入院していたら、急に認知が進んでしまった。これまでは、こちらが叱りつけると、すぐに我に返り、真っ当になってくれていたのに、黙り込んだままになり、しばらく後に別の奇妙なことを言い出すようになった。

遂にきたのだ。霧深い山奥にこれから入って行く。
とたんに涙が吹き出してきた。「もう、何も言わない。もう、いじめたりしない。これからは優しい言葉だけをかけてゆこう」と誓う。そして、さらに涙は慟哭となる。「ごめんねえ。これまでキツイ言葉ばかりかけて許してねえ」
夫婦とは、なんとミステリアスな間柄なのか。今は、ただ、神に安寧を祈るばかり。
