
スパルタ教育をしたことが未だにトラウマになっていると感じる。
四番目 の子供であった桃太郎は、誰にも褒められ、かかりつけの動物病院では「犬なのにわきまえた子」とまで言ってくれ表彰状まで貰ったことがある。それなのに我が慢心の結果がこれである。

犬種は同じなので、二匹の幼少期の躾は同じようなものだったはずだ。赤ちゃんの頃の桃太郎は上目遣いをする弱々しい子。一方、シンバは、我が家に着いた時から天真爛漫やんちゃのし放題。なのに、片方はゆったりとした成犬となり、もう片方は、外部の音ひとつにも怯えまくっている。
普通に考えれば、逆になりそうなものの「生まれつきの性格の違い」と躾と環境が複雑にからみあって、これほどまでに違った形で出てくるとは、、、。

このことは、私の根本を覆させる威力を持っていた。
つまり、行き着くところは、娘との確執の答えでもあるからだ。
私は 自分で言うのもおこがましが、前向き思考を求めて反省も人一倍する方だし、よりよき方に変えることにも熱心だ。にもかかわらず、娘との確執が溶けない。その答えであると。

半年前、愛犬に向かって滑稽にも真剣に「両手をついて詫び」を入れた後は、彼の性格に注意を払い、ある決まった時間内は彼の動きに逐一、合わせるように試みた。今回のできごとを機に、私は、「百パーセント受け手になる」ことが苦手な人間であることを、自分で認めたのである。良き伴走者であるよりも、ひとりで勝手きままに走りたいタイプであると。
ありがたいことに、この冬、ソファーに座り新聞を読んでいると、シンバは横にペタリと寄り添って輝いた目で私を見上げてくるようになった。それは、小さな太陽があるような信頼の証の輝きのようで、こちらの気持ちも陽だまりの中に入れる。
