
けれども驚くべきことに、体重減少のせいで、脊柱管狭窄の腰は、矢追インパクトの注射と朝のリハビリ体操とシンバとの散歩を足し算して、そこに十倍掛け算をするほどの威力があったといえる。常に腰に爆竹ならず地雷を抱えてきたというのに、長時間、忘れていられるようになったのだ。一人暮らしになっただけに健康維持を保つならば「地獄への下水道も通らん」とまで思ったのか。「この自分を守るのは、自分しかいない」という自立意識を奮い立たせてきたようである。

ところが夜中の汗はますます回数を増やしてゆき、夜もまんじりとしなくなったので、かかりつけの医師に相談した。背骨に注射して下さる先生でもある。早速、血液検査をしたが異常なしだった。先生いわく。「あなたは普通の人より過敏症だから、色々違った形で出てくるんだね」

そこで気づいた。自分が朝から夜まで四六時中イライラしていることに。コロナのせいもあるかもしれない。しかし、それだけではない。日曜日、教会の納骨堂に入りこみ、夫のいる場所に手をあてて、その時だけ滂沱の涙を出してくる。それだけが、今の生活の癒しであることに・・・。

年が明け、シンバを豪徳寺の幼稚園に預けて、そのまま小田急線で藤沢までゆく。自由気ままに動くことを自分に許したのだ。鎌倉高校の海は今日も透き通った青い空の下、目を背けたくなるほど美しかった。しばらく目を開けていられなかった。波の音が全身を貫き、動けなくさせている。山の中の台風のような風の音なら恐怖を呼び起こすのだが、こちらは似て非なるもの。内臓に染み入り、血の赤さを呼び覚まし、頭の中を銀色のうぶ毛で優しく撫でてくれる。「もっと気軽にやったら」夫の言葉だった。
私はひたすら声に出さず、泣いた。
