
そこに我が家の大スターであった石原慎太郎氏の死亡が伝えられた。氏は夫より七歳年上で、氏の鮮烈なデビューによって人生の舵を変えさせられた大勢のひとりであったらしい。なんでも子供時代は、街頭での選挙演説を聞くのが好きで「選挙坊や」と地元で言われていて政治家を目指していたが、小説家になる為に早稲田の文学部に進路を変更したのだ。

それゆえ、夫婦間、日常的に政治問答が入り込んでいて、往年の「朝まで生テレビ」など欠かさず見ては二人で議論のまねごとをしていた。野球やサッカーなどスポーツ団体を応援することもなかった私たち夫婦にとって、政治家慎太郎氏は、やることなすこと憧れの大スターで、毀誉褒貶の多い人だっただけに眺めているだけで、こちらを楽しませてくれた。

が、今や、慎太郎氏の功績や功罪、語録などを語り合える女友達もいない。そこでリビングの写真に向かって「ねえ、シンチャン、死んじゃったよ。また、ひとつの時代が終わってしまったんだねえ、、、」と声をかける。胸の中が空っぽになったような気がして。

岸田総理が弔問に出向き「お亡くなりになって、今、改めてその存在の大きさを痛感しております」と。それが形だけでないことを、多くに人が感じるのではないかと思う。最後に慎太郎節。
「死ぬまで言いたいことを言って、やりたいことをやって、人から憎まれて死にたい」それを実践できた、類い稀な幸福な人。合掌。
