その翌日。意を決して、これまでドレッサーに仕舞い込んでいた夫の洋服を、はじからゴミ袋
に突っ込んで始末することにした。ただでさえも狭い西参道のマンション。夫愛用のメガネや壊れた時計、筆記用具など、誰も使わないことはわかっていたのに捨てられないできた。

手元に残した物は夫が監督をしたいくつかの作品と本人の声とメールの入っているガラ系の携帯電話だけにした。もちろん契約は解除してあるが、充電すれば開くことができる。そこには「昨夜、藤沢周平氏と一緒に、夜店で、金魚すくいをしました」などと虚実入り混じったほのぼのした言葉が入っている。

それと言うのも、二月、虚無感に襲われていたのだが、春と共に回復してきたにもかかわらず、なんというか、一日中、妙に神経がピリピリしていて、あれもしなくては、、、これもしなくては、、、と苛ついて焦ってばかりいたのだ。こんなことは 何十年ぶりかのこと。ーそして一周忌が近づくにつれて、その正体が見えて来た。それは「これから生きている限り、一人なんだ」という現実味を帯びた不安感のなせる業のような気がした。

そこで、八十代半ばの尊敬する女性に「心細くて、一日に一度は泣きたくなる」と電話で愚痴をこぼすと、「それは自分だけが特別だと思えている証拠でしょう。甘えですよ。甘え」と喝を入れられた。

しかし、パートナーがいるということ。それは何か行動を起こす時「このこと、どう思う」と口を開けば「いいじゃない。やれば、、、」とそっと背中を押してくれる相手。それがパートナーの醍醐味なのだと今更ながら気づく。これからはその相手なしに、「全てを自分で迷い、選択して、決行する。たとえ大きな損失を出しても、他人に甘く見られて騙されても、自分一人で引き受ける」その体験を一つ一つ、「勇気」として積み重ねてゆくうちに本当の自信というものができてくるかもしれない。さて、結果はどうなるか。
