
お相手をしてくれた職員は若い素敵な女性で、なぜか、ものすごくゆっくりと大きな声で喋ってくれる。「お一人で暮らしても セコムなどに入らなくても大丈夫ですよ。保護司をはじめ三人の方が順番でお宅に行き、面接を受ければ、それですむことです。そうすれば、定期的にお宅に会いにゆくなり電話なり、あなたが望んだ形でさまざまなことをしてくれるはずです」

はじめは、どうしてそんなにゆっくり、モタモタと話すのだろう。目の前に座っているのに、どうして大きな声を出すのだろう、と疑問が次々と浮かび、呆れかえって黙したまま聞いていた。「この喋り方、この人の癖なのかな」と思った瞬間、、、。
アハハハハハ、、、と心の中で笑った。理由が分かり、笑わずにいられなかった。

つまり、こちらが年寄りで、耳も遠く、もしかしたら認知症にも足を突っ込んでいるかもしれないから、親切心で、プロらしく、わざわざ、分かりやすく話してくれているのだと、、、。なんだか苛つきに似たものも出て来たが、ここは、快く、相手のやり方を受け入れてあげることにして、半分、認知症の顔つきをして、その場をやり過ごした。

そして思った。二度と行くまいと。とはいうものの、日本の社会福祉の素晴らしさには目を見張るものがある。夫の病の三年間、日々、実感した。故に、いつ、お世話になるかわからない。古いアメリカ映画「マイ フェア レディ」で主人公イライザの台詞がある。「淑女と花売り娘の違いは、周りがどのように接してくれるかで決まる」と。私は言いたい。「歳を重ねること。それは、確かに周りから優しい言葉をかけてほしい種族に変容してゆくことである」と。
けれども、何事もマニュアル通りにやればすむというわけではない。とは言っても、若い人には無理な注文なのだろう。
