2023年02月08日

和解

 かつてこのブログに、一人娘との確執を書かせて頂いてきた。実に、夫がいなくても泣き言を言わず、愛犬と共に一人で生きてゆこうと決めていた。にもかかわらずクリスマスには娘一家に招かれ、和気あいあいと過ごした。歩いて二十分くらいの場所なのに、何年ぶりかのことで道を間違えてしまったほどだ。そして元旦には我が家に。
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 特に何かを詫びあったわけでもない。強いて言えば、夫が亡くなり、奇妙な三角関係がなくなったということなのだろう。これまでに互いに罵り合ったり、嘆き悲しんだことには一切触れず、ごく自然に、何事も無かったように水に流せる。友人が、「やっぱり血は水よりも濃いのね」と言っていた。
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 果たしてそうなのかな、と私は疑う。幼児期に血縁に虐待されてきた体験がある。「和解」を辞書でひくと「当事者が互いに譲り合い、争いを止めること」とある。そう。私たち親子は、長い確執の中で、互いに、学び合ったのだ。娘は娘で。私は私で。思えば、粗を見つけては口うるさく注意してきた。それが親の役目だと思い込んでいた。
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 娘にとって一番悲しかったことは、両親に褒められなかったことらしい。私たちの時代では、叩かれて伸びる人と、褒められて伸びる人のふた種類あり、前者の方が本物とされていた。それ故、ある時期から「赤ん坊の人格を重視して、叱るのでなく、褒めること」という育児書が評判になった時には、そっくりかえるほど仰天した。
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 今は、人間だけでなく、名馬を育てるにも、犬の躾においても、「褒める」が主流になっている。自分が褒められて育ってこなかったので、慣れるまではむずかしいことであったが、これまで半世紀、褒めてあげてこなかった分、彼女の素直さや頑張り屋のところを見つめて精一杯、褒めてあげたい。かって夫中心の生活だったので、子供の頃から寂しい思いをさせてきたのだから。とは、言っても、彼らの中に、今さら割り込もうとは思わない。基本的に、私は、変わらず愛犬と二人で地に足をつけて生きてゆくつもりである。
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posted by アンジェリカ at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする