
聞くところによれば明治神宮も、お賽銭などが少なくなり採算が取れなくなってしまったらしい。コロナになり、本堂の周りにぐるりとあった長椅子が撤去されてから、私も 徒歩で五分近くだが、足が遠のいてしまった。心境は皆、同じではないだろうか。長椅子がなければ、ゆったりできない。

そこへきて、先日、「渋谷区緑道樹木伐採189本予定」という記事を東京新聞で読んだ。その緑道は、地下水となった玉川上水に沿ってできた緑道で、笹塚、幡ヶ谷、初台まで2キロ半あるゆえに、周辺の住民たちが「待った」をかけたらしい。春には満開の桜のトンネル。夏には緑の木陰。隣接している甲州街道の喧騒までも、遮断してくれるほどの防波堤で魅惑の緑道そのものである。

その記事を読み、いまだに腹がたっているのは、住民の反対により、別の 文化保護審議委員に、伐採予定の樹木を再調査してもらったら、なんと、本当に根が腐り切らなくてはならないのは、たったの二本の桜であった、と言うではないか。開いた口が塞がらない。

そして、もう一つ。これは個人的なことであるが、かつて西原から代々木の地にひっこして二十年近くなるが、通りの向こうの古いアパートの角地に、それは見事な桜の大木があり、毎年、借景ではあるが、蕾の膨らみを、外に出るたび、楽しみにしていた。そのアパートが今年壊され、目隠しの板が張り巡らされた折「あの桜が、どこかで保護されてますように」と祈るような気持ちで待ち侘びていた。出来上がった超高級アパートには、桜の居場所は、もはやなく、経済効率のためか、角地まで建物が張り出している。これで、心の中に、毎年、春を告げてくれた燈が消えてしまった。角地の桜さん。ありがとうね。
