それが金銭的な苦境だったり、親子の確執だったり、対人関係の争いだったりすると、寝汗をかいて眠れなくなるのだが、幸運にもそうした類いがない時にも、「年をとることの恐怖」「老いることの恐怖」など、まるで悩み事を探しあぐねては「ああ、やっぱり これだ。これだ」と納得しながら位置を譲るような気持ちで帰着するのだ。
果たして、こんな心境は自分だけなのか。そして気づく。この想いは地球上の全ての人間が持っているもので、「存在しているからこその不安」なのだと。この年齢になると、死そのものよりも、歩けなくなり、自分のことが自分でできなくなることが一番恐ろしい。すでに、滑り症、骨粗鬆症、腰椎潰れを背負っているだけに、週一度の注射とリハビリは欠かせない。
話は飛ぶが、二月になって、偶然、横田めぐみさん生存説を説いておられる拉致被害者蓮池薫氏のYouTubeを拝見して涙にくれた。それを口角泡を飛ばして友人達に話したら、驚いてはいたが、誰一人として知っていなかった。元旦には石川県の大地震。続いて飛行機事故。蓮池氏のインタビューは 正月あけであったので、見過ごされてしまったのだろう。
しかし、なぜ、マスコミはこの件に関して大々的に書かないのだろうか。政府には政府の意向があり、公にすることはマイナスになるとしているのかもしれないが、これでは国民の意識が盛り上がることはない。バトミントンのラケットを未だに大切にしているめぐみさん、おかあさん、御兄弟の方々の心境を 自分に置き換えれば、胸が張り裂けそうになる。存在の不安などと軽々しく言っていられない。
現在の自分は、感謝の気持ちを忘れていた。