なぜにして異様なほど早寝早起きになったかというと、反動で「朝の光と午前中を味わいたい」と切望して始めたようだが、三年すぎた今になってみると、他の理由があることに気づいた。一言で表せば、「孤独からの回避作戦」でもあったと。
生前、夫は2000以上のドラマを世に送り出した。「たかがテレビ。されどテレビ」とつぶやきながら。全盛期には二か月に一度しか休みがとれず、撮影が終わり、編集段階になると、「あら編」といわれる簡単に編集してきたドラマを家に持ち帰り、妻である私を第一視聴者として共に批評しあい、朝を迎えるのが常だった。
振り返ると、それが一等、楽しい思い出である。ヒッチコックの妻ほど直接に関わったのではないが、本人の希望で、毎夜、かかさず夜中に炊き立てのご飯で食事をとり、頭痛持ちなのでマッサージをして寝かしつけた。私の方は四時間以上寝たことはなく、 「明るくなってきたから早く寝なくては、、、」という脅迫観念があったのも確かである。
犠牲になったのは、一人娘であることは否めない。けれども当時は、圧倒的な父権時代。稼ぎ手の男が優先されるのは当たり前。実家の父からは多大な援助を受けていたが、父からも「援助を引け目と思え」と言われていた。それら、全てをひっくるめて、そうした生活から決別したかった自分が、今、ここにいる。
自分のことより家屋を優先させてきた幸福でありながらも、自立していないことすら気づかなかったおぞましい自分。この三年間、夜更かしは一度もしておらず、テレビもニュース以外はほとんど見なくなった。実に、孤独と自由は表裏一体。