2024年07月17日

聖なる道行仲間

 東テイモールに赴任していた若き神父が、三年と七か月ぶりに帰国した。彼とは二十年以上、カトリックでいうところの聖家族として心を通わせてきた。知り合った頃は、普通のサラリーマンで上智大学の神学科に入学して、それから八年間の修行時代を経て、イエズス会の司祭に叙階された。その努力たるや凄まじものであったはずだが、彼は一度として顔に出すことはなかった。だから私は「いつ、辞めてもいいよ。辞めても家族だよ」と言っていた。
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 イグナチオ教会で叙階したのはコロナの全盛期。さっそく国連の飛行機に搭乗させてもらい、現地へと出向いて、ぶっつけ本番で授業を受けもち、二十二名の教師のいる学校の校長先生になった。二人で食事をしている最中も、電話があり、インドネシア語とテイモール語で答えていて、聞けば外部の方とは英語で話しているという。
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 東テイモールは、世界で最も貧しい国とも言われることがある。私の知っている範囲では、一時代前のカンボジアの子供たち。「 お腹を空かせているにもかかわらず、パンを貰えば、それを食べずに走って持ち帰り、家族みんなで分け合う 」そうしたものが貧しさの象徴だった。けれども、東テイモールには医者がいない。代わりに神父がいる、というわけだ。
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 そのため、赴任した時、その地方の王の着る服を着せられ、王の印の帽子を被らされ、村人たちに 王に近い扱いを受けたという。そこで彼は考えた。「 明日から、学校のトイレ掃除は、自分ひとりでやることにする」と。もちろん水洗トイレではない。水も極端に不足している。その上、揉め事の仲介役は たった一人の神父の役目である。
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 実情を聴いて、私は  震え上がった。これなら、いつ、何時、何が起きてもおかしくないと。今回、私が  彼に伝えた言葉。「英雄なんかにならなくていいから。絶対にならないでね」と。どうしても、アフガンの銃撃戦で亡くなった中村哲氏を連想してしまい、胸が痛くなる。もしも神が本当に存在するならば、御顔で彼をいつも照らし、彼に平安を与えて欲しいと、祈らずにはいられない。
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posted by アンジェリカ at 12:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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