
おじちゃまは時に「美とはなんぞよ」「人間の歴史とは何ぞよ」などと哲学的なことを問いかけてくださったり、マルクス主義とは何か、政治家とは どうあるべきか、など私は 夢中になって 吸収した。そこには二人の年下の男の子がいた。おばちゃまは娘がいないせいもあって、文字通り娘のように可愛がってくださっていた。冠婚葬祭には親族の席が用意されていた。私には夢の家庭、理想の家庭そのものだった。

ところがある日、別離が待っていた。おばちゃまが 急によそよそしくなられたのだ。理由を聞いても それはそれは 丁寧な儀礼的な言葉しか 返ってこない。完全に心を閉ざされてしまっていた。私は 哀しみに打ちひしがれ、己の未熟さを攻め立て、それから 数十年の月日が流れた。

数年前、なんと偶然に、ご子息である次男坊と再会して ラインのやり取りが始まった。幼馴染みのようなものであったので、自然に 兄弟同然のように心を許し合うようになった。そこで、わかったのである。別離の理由が。第三者の介入で、めちゃくちゃにされてしまったということが。

おじちゃまはすでにお亡くなりになっておられるが、おばちゃまは現在百歳。私の名前が出ると「会いたいなあ。元気にしていた。ああ、会いたい」と目を細めておっしゃるそうな、、、。
こうして奇跡の再会は実現した。
時に私は思う。たとえいかなる理由で誤解されて人間関係が破綻しても、己に恥じることがないならば、歳月と共に必ず相手に通じているものだと。
