2024年11月08日

奇跡の再会

 私は長野県松本市で育った。父は東京で 事業を拡大していたので、帰ってくるのは月に一度か二度くらい。兄と「どこかのおじさんが来た」とふざけて呼んでいた。思春期の頃、「知性」に飢えていた私が出会えたのは矢ヶ崎家。おじちゃまは学究肌で大学を創設するために精力的に動いていて、おばちゃまは人間関係の陰の立役者。その家に、毎日のように入り浸っていた。
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 おじちゃまは時に「美とはなんぞよ」「人間の歴史とは何ぞよ」などと哲学的なことを問いかけてくださったり、マルクス主義とは何か、政治家とは どうあるべきか、など私は 夢中になって 吸収した。そこには二人の年下の男の子がいた。おばちゃまは娘がいないせいもあって、文字通り娘のように可愛がってくださっていた。冠婚葬祭には親族の席が用意されていた。私には夢の家庭、理想の家庭そのものだった。
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 ところがある日、別離が待っていた。おばちゃまが 急によそよそしくなられたのだ。理由を聞いても それはそれは 丁寧な儀礼的な言葉しか 返ってこない。完全に心を閉ざされてしまっていた。私は 哀しみに打ちひしがれ、己の未熟さを攻め立て、それから 数十年の月日が流れた。
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 数年前、なんと偶然に、ご子息である次男坊と再会して ラインのやり取りが始まった。幼馴染みのようなものであったので、自然に 兄弟同然のように心を許し合うようになった。そこで、わかったのである。別離の理由が。第三者の介入で、めちゃくちゃにされてしまったということが。
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 おじちゃまはすでにお亡くなりになっておられるが、おばちゃまは現在百歳。私の名前が出ると「会いたいなあ。元気にしていた。ああ、会いたい」と目を細めておっしゃるそうな、、、。
こうして奇跡の再会は実現した。
 時に私は思う。たとえいかなる理由で誤解されて人間関係が破綻しても、己に恥じることがないならば、歳月と共に必ず相手に通じているものだと。
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posted by アンジェリカ at 02:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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