
42年前といえば、発足したばかりでオーナーも経営者も違い、仲間もできて、第二の青春場所でもあった。今ではワインセラーになっている地下は、昔は プールになっていて、そこで泳ぎ、その深さを知っているのは私くらいかもしれない。年上の友人たちは鬼籍に入った方が多いので。そこで、電話を入れて、最後のテイータイムに出かけた。

どうしてこんなにこだわるのかというと、かつて、新宿区中落合の住宅街に小さな洋館があり、そこが東京の実家だったのだ。もちろん青山の洋館とは比べものにはならない大きさではあったが、玄関の扉の厚み。古びた廊下の軋む音。真鍮の取手の重さ。ひし形に仕切られたステンドグラスの両開きの窓などは、開閉のやり方も調節の仕方も同じだった。それ故に、その建物内にいるだけで、実家にいるような錯覚を覚えたものだ。

帰りがけに、偶然、新オーナーという人に出会った。なんと、中国人の女性だった。深い屈辱を感じたと同時に、聖書の「天の下での全ての出来事には定められた時がある」の一節を思い起こした。そして日本もバブル時代、ニューヨーク、5番街のロックフェラービルを三菱地所が買い占め、コロンビア映画をソニーが。ユニバーサル映画はパナソニックが所有したことを思い起こす。

手紙によると、青山のこの洋館は、五年間、貸し出すことによって、水回りや暖房など、ありとあらゆる設備を整えなおし、向こう100年持続するほどの額が手に入るという。一方、我が実家の方は、水まわりが不能になった時、父が売却を決断して、今は他人様のマンションになっている。庭には 見事な桜の古木があったが、それも切り倒されてしまった。大正時代のスレート造りの洋館は、外観は重厚でロマンあふれるが、「住むには冬は寒くて、夏は暑い」父の口癖だった。
