2025年05月06日

フランシスコ教皇帰天

 復活祭の翌日、カトリックのトップである教皇が亡くなった。信者は世界で13億人といわれている。日本に於いては、同じキリスト教でもプロテスタントとの違いも知られておらず、宗教悪ばかりが騒がれているこのご時世、トランプとゼレンスキー会談効果のせいか、様々なマスメディアが取り上げていた。
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 ヨハネパウロ二世が帰天なさった時は、九段のバチカン大使館に記帳に行った。今回は YouTubeで人々の様子を見ていた。葬儀の後、簡素な柩におさめられたパパ様が、バチカンから 埋葬される教会まで、ローマの街中を、愛用の車でゆるゆると進んでいる最中、まばらではあるが絶え間ない拍手が湧き上がっていたので、涙が溢れ出て止まらなかった。
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 そこで、遠藤周作原作、マーチンスコセッシ監督のアメリカ映画「沈黙」関連のエッセイを読み漁った。それによると、信仰とは「確信から始まり、懐疑へ。そして孤独へと繋がり、連帯となる」と書かれていた。どうやら 、信仰が深くなればなるほど、懐疑も 同時進行してゆくのは、自然の流れであるらしい。
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 また、ご承知の方も多いと思うが、例の「沈黙」というタイトルは 新潮社の編集部が付けたもので、作者は「日向の匂い」と決めていた。その結果、タイトルを変えてしまったことを ずっと 後悔していたらしい。実際、映画では 監督はきちんと理解していて、最後のシーンは 陽だまりの暖かさの中に主人公はいたような覚えがある。
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 信仰の道は暗い、と昔から 言われている。
 自分としては、「妄信ではない 信仰」を求めて、彷徨い歩いているようなものである。そして、ふと、思う。沿道にいた人々の あの素朴な拍手。あれは、陽だまりのような暖かい気持ちになれたから、巻き起こったのではないかと、、、。
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posted by アンジェリカ at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 立木アンジェリからのお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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