
それが真実かどうかは別として、自分の体験値と照らし合わせて「確かにありえるかも」と実感してしまったのが始まりだ。それ故、二月、三月、調子が悪いと「ああ、エネルギーが少ないものね」と変に納得したり、秋、最盛期のはずなのに、なんでこんなに疲れているの、などと思ったり。草木と同様に春夏秋冬に沿っているだけかもしれないし、夏の疲れがでただけかもしれないのに、、、。かなり、暗示にかかりやすい体質なのだろう。

こうなると年齢も気にならないし、介護になる未来を憂えて落ちむこともない。今を存分に楽しめる自分がいる。その一。今年もまた、娘の家族がホテルのバイキングに招待してくれ、誕生日を祝ってくれた。そのニ。三十年、所属している「学校をつくる会」の新理事長が決まった。亡き小山内美江子姉の志をこれからも紡いでゆこう。その三。大相撲の大の里が横綱になった。勝負が始まる前の力士の表情や気合いで、どちらが勝つか、観察するのが趣味。


その四。入会した歌の会。歌があるので、人間関係の煩わしさは皆無。ピアノの練習曲バイエルを六年続けて終わらず、怠けていた子供時代。その忘れ物を追いかけて
音符を丁寧に拾う。そして、半年前に始めた「聖書の勉強会」。「盲信ではない信仰」を求めて一からの出発。

春になると、威勢が良すぎて、親しい友に喧嘩をふっかけてしまった時期もある。ようやく吟味された理性も少しは加わったのか、気持ちの良い高齢者になれたらなあ、と密かに願う。己への 妄想がおさまったら、周りが穏やかに見えるようになった。
