写真は若かった頃の 小山内美江子代表前列中央。集いの会の時は、思いっきりおしゃれをしてこいと命令されて、帽子で誤魔化している私
最初は赤坂の小さな事務所で、副代表は俳優の二谷英明氏であった。二谷さんの口癖は「僕たちは、やってあげるのでなく、やらせて貰っているという気持ちを忘れてはいけないよね」だった。けれども、小山内先生は、全く違うタイプの指導者で、職員たちに、どんな小さなことでも自分に知らせることを矯正していた。
少しでも知らないことがあると、かなり、きつい言葉で叱りつけた。皆が、きちんとやりますから、と涙ながらに訴えても、決して神輿の上には乗らなかった。それゆえに、理事とも大喧嘩となり、辞めてゆく人が後をたたず、いつのまにか、私が一番古いメンバーになってしまっていた。
時々、私は アフリカで医療と布教活動をしていたシュバイツワー博士を思い起こしていた。「あの偉人と言われている人でも、成したことは素晴らしいのに、おそばに仕えた人たちは彼の気難しさや癇癪に閉口したらしいから」と。
人間は誰でも皆、二面性を持っている。観音様のような母性がありながらも、名誉欲の塊であったり、ねちっこく怒り続けたり、、、。
けれども、先日、先生のお墓が、京都にある「常寂光寺」の「女の碑」になることを知って愕然とした。「女の碑」とは、夫のいない独り身の女たちが、手に手をとりあって慰めあったり、励ましあったりしてゆこうと、かの伝説の市川房江さんが創設なさったものらしい。生前から先生は、そこに埋めて欲しいと決めていたという。男尊女卑の時代。上から目線の鼻持ちならない男どもを相手に、ボロボロになりながらも凄まじい闘いをし抜いた後の白い骨を、、、。私は完全に先生の核を見落としていた。
一人の女傑、ここにあり。