また,テレビの音が大き過ぎて,いつも,言い合いになった。「もっと小さくして」と頼み込むと,数回後に,夫は黙ってボリュームを下げ、その場から姿を消す。今から思えば、耳が遠くなったのを、こちらに悟られまいと黙っていたに違いない。やがて、自分が制作した番組ですら見なくなった。「どうして」と聞くと、「恒ちゃんが死んだから」とポツリ。渡瀬恒彦氏のことである。2人でタックを組み、長い年月を歩んできたのだ。少しずつまだらボケがでてきた頃でもある。
家では,頑なに「昭和の男の沽券」にしがみついていたが、入院したJR病院では、餓鬼に戻ってやりたい放題。看護師さんを困らせ、私も何度も呼び出された。若い時は「俺は男だ」で家の中を仕切り、威張りちらし、年月が経ち、「ぼくちゃん,こんなになっちゃった。甘えさせてよー」とやられても、それを受けいれたら,今度はこちらが潰れてしまう、と腹を括っていたからでもあるだろう。
早い段階に、「私も腰が悪いから、お互いに、自分1人で下が出来なくなったら,ホームに入りましょう」と提案していたのだ。それゆえか、周りの友達に、「なんだか1人になって、前より元気溌剌になったようにみえる」と言われた。そんなはずもないだろうが、新たに,夜,8時には床に入る準備を始め、翌朝は5時に起床して,リハビリをする。なぜなら、マスコミ職の夫の希望で、50年間,夜中の生活を共にしてきた。夜明けが過ぎたから,慌てて眠る、という乾いた生活だ。それ故に、今は、テーブルにさしこむ朝の光を眺めながら朝食をとったり、神宮に散歩に出て,朝露の輝きに感動したり。
介護生活という重荷を肩から取り外せば、そこにあるのは孤独だ。自由と孤独とは背中合わせとは、よく、いったものだ。夫がいなくなり、誰にも無理に合わせる必要がなくなった。自分らしく,自分なりに暮らせばいい。
幸福の原点。それは、自分らしくいられるか、否か、で決まるような気がする。
にもかかわらず、実は、もう、一日たりとも,夜中の生活はできそうにない,というのが本音だ。なぜなら,あの頃のもう一つの幸せが,夜空から雪崩のように落ちてきそうで、その1分が1分が恐ろしい。


